「人間に限界なんてない。彼を見ていると、本当にそう思いますね」。言葉の主は斯界で“神風”の異名をとった元F1ドライバーの片山右京。「もし自分が同じ立場に置かれていたら、あそこまで立ち直れていたかどうか…。“勇気をありがとう”などというレベルを超え、心の底からリスペクトできる男です」

 

 F1からカート(CART/現インディカー)に戦いの場を移したイタリア人ドライバー、アレッサンドロ・ザナルディが重大なアクシデントに見舞われたのは2001年9月15日のことだ。悲劇の舞台はドイツ・ラウジッツ。トップでピットインを終え、コースへ戻ろうとした彼は出口付近でスピンした。そこに後続車が300キロのスピードで突っ込んできた。マシンは大破し、血まみれのザナルディはすぐにドクターヘリでベルリン市内の病院に緊急搬送された。5時間に及ぶ大手術の末、何とか一命をとりとめたが、その代償として両足を失った。

 

 九死に一生を得たザナルディが公の場に姿を現したのは事故から3カ月後のことだ。母国で催された表彰式典に招かれたのだ。会場には現役時代の映像が流れ、スタンディングオベーションの中、車いす姿のザナルディが登場した。壇上にいたF1王者ミハエル・シューマッハと抱擁し、語り合う。鳴り止まないホーンが2人をやさしく包んだ。

 

 両足を失ってもザナルディのレースへの思いが薄れることはなかった。05年には世界ツーリングカー選手権に参戦し、その年から4勝をあげた。09年からハンドサイクルに本格転向し、12年ロンドンパラリンピックでは二つの金と一つの銀を獲得した。今年のリオ大会でも金二つ、銀一つ。ロードレース決勝が行われた9月15日は、くしくも15年前、生死をさ迷った日だった。「あの日、僕は生まれ変わったんだ。記念日に銀メダルをもらえるなんて、人生は捨てたもんじゃないね」。

 

 ザナルディの「奇跡の復活」の物語を見るにつけ、夢想してしまうことがある。それはシューマッハとの再びの抱擁である。“赤い皇帝”がフランスのグルノーブルでスキー中に転倒し、頭部を負傷したのは3年前の冬のことだ。麻痺と記憶障害が残り、療養生活を余儀なくされているという。リオでのザナルディの活躍が孤独なリハビリの励みや支えになっていればいいが…。

 

<この原稿は16年9月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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