広島が25年ぶりのリーグ優勝を決めた131試合目、勝利投手となったのは41歳の黒田博樹だった。

 

 

 5回胴上げされた後だ。帽子を目深にかぶった黒田は両手で目を覆い、肩を震わせていた。

 

 続いて39歳の新井貴浩が同じく5回、仲間たちの手によって宙に舞った。新井も顔をくしゃくしゃにしていた。

 

 歓喜の輪の中で2人は無言のまま抱き合った。男の抱擁を見るのも、たまにはいいものである。

 

 不動の3番・丸佳浩は2人について、こう述べている。

<新井さん、黒田さんが精神的支柱、とよく言われますが、それはあります。2人の優勝にかける思いが特に強いと思った。僕らも感じるものがありました。もうすぐ40歳になる新井さんはすごい声を出すんです。自分でしっかりと自分を追い込む>(朝日新聞9月11日付)

 

 いみじくも松田元オーナーが言うように、「一緒に出てって、一緒の時に帰ってきた」。正式に記せば、出て行ったのは2007年、帰ってきたのは2015年だ。

 

 黒田はメジャーリーグの名門ドジャースとヤンキースで7年間プレーし、通算79勝をあげた。しかしリーグ優勝は一度もない。地区優勝が3回あるだけだ。

 

 一方の新井は阪神で7年間プレーし、一度もリーグ優勝を経験することなく、自由契約で古巣に戻ってきた。

 

 投手陣は黒田がまとめ、野手陣は新井が引っ張った。この2人は仲がいい。周囲からは理想の2トップのように見えた。

 

 低迷中のカープに欠けていたのは健全なる競争意識だった。ファミリーと言えば聞こえはいいが、仲間同士で傷を舐め合うような面があった。

 

 海の向こうで、あるいは他球団で厳しい環境に身を置いた2人のベテランは、後輩たちに背中で“プロの厳しさ”を示し続けた。

 

 カープ全盛期にも2人のリーダーがいた。“ミスター赤ヘル”と呼ばれた山本浩二と“鉄人”衣笠祥雄である。

 

 山本は語っていた。

「キヌは少々のことでは音を上げないから、こっちも痛いのかゆいのと言って休んでいるわけにはいかなかった」

 

 ローカル球団の広島には財政的なハンデがある。独立採算制で球団を運営しているため、損失を出しても、どこも補填してくれない。

 

 すなわち選手は自前で育てるしかない。そのためには手本となるベテランがいる。黒田と新井は広島に“無形の財産”を残したと言えよう。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2016年10月7日号に掲載された原稿です>

 


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