史上最高の投手は誰か、というのは、よくある設問だ。答えは100人いれば100通りあって当然なわけで、お互いその理由を言い立てる議論の過程が楽しい。

 

 とりあえず日本野球に限るとして、私の場合はちょっと前まで、金田正一というきわめて凡庸、かつまっとうな意見だった。数年前に宗旨変えをして、ダルビッシュ有と答えることにしている(このテーマに関して、二宮清純著『最強のプロ野球論』講談社現代新書所収、「史上最強の投手は誰か」は必読です)。

 

 ところで、では、「史上最高の投球はどれか」という設問はどうだろう。つまり、史上最高の投球をした投手の特定の一試合を選び出そうというわけだ。

 

 常識的には、完全試合から選ぶことになるだろう。となると、「完全試合の中の完全試合」はどれか、という問いと同義だ。これまた議論百出だが、私の場合は、セ・リーグ記録の16奪三振を記録して達成した1968年9月14日の外木場義郎だと結論することにしている(完全試合は、奪三振の少ないケースが多いですからね)。もちろん先発がすべてではないので「江夏の21球」だという答えもあるだろうし、意見は人それぞれ、というしかあるまい。

 

 といいつつ、9月28日の埼玉西武ライオンズ戦の大谷翔平(北海道日本ハム)を見ましたか? 完封でリーグ優勝を決めた試合だが、いや、すごかった。

 

 球速表示は最速159キロ止まり(というのも変だが)で、160キロ台はなかったのだが、それでも、いつもより速く感じた。しかも、意識してコーナーに投げている。

 

 プロ野球選手はよく、速いボールを表現するときに、新幹線が通過するような、という比喩を用いる。これ、わかりますよね。駅のホームで待っていると、反対側のホームを新幹線がゴーと通過していく。あれです。実際には200キロ以上出ているのだろうから球速より速いわけだけど、その「剛速感」はよく伝わってくる言い方だ。

 

 だけど、この表現では、ボールはA地点(投手)からB地点(捕手)まで、移動している。この日の大谷のストレートは、極端に言えば、2点間の移動という過程がなくなってしまったかのようだった。つまり、投げたと同時にボールが捕手のミットに直接入ってしまっているような感覚。

 

 いくらでも例はあげられるのだが、たとえば2回裏無死、アーネスト・メヒアを三振にとったインハイの159キロ。同じく森友哉を三振にとった5球目。真ん中低めの158キロ。さらには、中村剛也への初球、アウトロー。論評しようとすると、「まったくタイミングが合っていない」「完全に振り遅れている」と言うしかない。たしかに、表現としてはそうなのだが、それは当然なのである。投げたときにはもう捕手が捕っているのだ。「タイミング」という概念を打者から奪い去った速球と言えよう。こんなのは生まれてはじめて見た。少なくともそういう気がする。

 

 しかも、スライダーがきわめて鋭い。今シーズン、大谷はスライダー投手という一面も持ち合わせるようになってきた。フォークは不安定だが、スライダーのキレはすさまじくなりつつある。シーズン序盤に当たった福岡ソフトバンクのかの柳田悠岐をして、「スライダーがエグかった」と言わしめたほどである。打者からタイミングを奪っておいて、スライダーがエグい。これを日本野球史上最高の投球と言っても決してオーバーではないだろう。

 

 つけ加えておくなら、1回裏、3番浅村栄斗は真ん中低めのストレートを完璧にとらえた。ところが三塁手のブランドン・レアードが横っ飛びの超ファインプレー。実は、このプレーを見た瞬間に、完全試合をやるだろう、と予感した。実際、完全ペースで試合は進んだのだが、5回1死から、5番森がこの日唯一のヒットをライト前へ打った。真ん中やや近め、低めのストレートである。しかもその直前のボールは、タイミングを外す大きなカーブ。大谷としては、慎重を期したのに、やや中に入ったところを完璧に引っ張った。もしここを抑えていたら、達成していたに違いない。9回に出した四球も出すことはなかっただろう。それにしても、浅村と森はすごい打者であることを自ら証明してみせた。

 

 改善すべきCS制度

 

 さて、いよいよクライマックスシリーズ(CS)、そして日本シリーズである。

 

 最近、よく聞く声がある。「今年の日本シリーズは広島と日本ハムでやってほしいですね」という意見である。「広島も日本ハムも、いい優勝だった」「新井(貴浩)と黒田(博樹)が抱き合うのを見て感動した」等々。

 

 要するに、みなさん、CSで広島と日本ハムが敗退する可能性を心配しているのだ。

 

 そりゃそうでしょう。広島と2位巨人は、最終的に17.5ゲーム差である。横浜DeNAに至っては69勝71敗の負け越しである。負け越した3位のチームが日本一になる可能性がある現在の制度には問題がある、というしごくまっとうな批判が、ようやく定着しつつある。これを日本の常識にして、プレーオフの制度は、必ず改善すべきである。

 

 CSのファイナルステージは、優勝チームに1勝のアドバンテージと地元開催の利がある。今年、17.5ゲームも開いたことを考えて、5ゲーム差以上離れたら2勝、10ゲーム差以上なら3勝のアドバンテージでどうか、というような意見の人も多い (たとえば2014年のセ・リーグは、優勝した巨人と2位阪神の差は7ゲームだった。仮にこのシステムを導入して2勝のアドバンテージがあれば、巨人がCSで悪夢の4連敗を喫して日本シリーズ進出をのがすことは、なかったかもしれない)。

 

 なにしろ、広島が優勝を決めたのは9月10日である。もはや昔話のような気がしてくる。みなさん、もう鈴木誠也が「神ってる」なんて忘れたんじゃありませんか? ひどいのは2位巨人で、カープにマジックが点灯した8月24日から9月4日までの10試合が、1勝9敗だった。ふつう、2位が意地を見せて首位に食い下がるものでしょう。このおかげで異様に優勝が早まり、結果として、優勝決定からCSまで1カ月以上もあいてしまった。

 

 終盤戦に「神って」いた男

 

 9月28日の大谷がすさまじかったのは、やはり優勝を目指すチームの勢いにも乗ったからだろう。「優勝」は、日常では眠っているような潜在能力まで引き出すのである。

 

 もはや古い記憶になるが、9月2日の広島対東京ヤクルト戦を思い出してみたい。この時期、広島はまさに優勝に向けて、勢いに乗っていた。

 

 この試合、広島の先発・野村祐輔は4回裏に2点を失う。ヤクルト先発は石川雅規。神宮球場に強く、しかも広島が苦手にしている左腕だ。優勝へのプレッシャーもある。0-2。苦しいかなと思った5回表のことだった。石川は野村、田中広輔と簡単に打ち取って、あっという間に2死走者なし。

 

 ここからである。広島は菊池涼介、丸佳浩が連打して2死一、三塁のチャンスを作り出す。打席には4番新井貴浩。

 

 低めのスライダーだったと思う。見送ればボールどころか、ワンバウンドしたかもしれない。これを新井は、右ヒザが地面に着くようなスイングでとらえた。打球は大きな弧を描いて左中間スタンドへ。逆転スリーラン。正直、その瞬間、何が起きたのか、のみこめなかった。ただ、ホームランの大きな軌道を、突如、目の前に現じた奇跡を見るように眺めていた。これが「勢い」である。終盤戦、「神って」いたのは鈴木ではなく新井である。もっともこの直後、鈴木もホームランを打って4-2とリードを広げたのだから、相当なものだが。

 

 試合後の真中満監督のコメントがすべてを物語っていた。

「今の状態なら、石川よりも新井の方が上だったということでしょう」

 

 この言葉は「今の状態なら」という前置きがポイントである。「今の状態」すなわち、優勝に向けて勢いに乗り、非日常な力まで発揮している新井は抑えられない、ということだ。裏を返せば、ふだんの新井だったら、あんな低めに落ちる石川のスライダーは打てないのにな、という意味だ。

 

 「勢」とは力である

 

 哲学者の中島隆博さんによれば、「勢」とは、まずは力である。権勢は政治の権力、軍勢といえば軍事力というふうに。同時に配置も意味しているそうだ。権勢は権力の地位、軍勢は軍隊の布陣でもある。「フランソワ・ジュリアンは、それを『配置から生じる潜勢力』と定義づけた」(『事典 哲学の木』講談社)

 

 すなわち「勢い」は、まぐれやラッキーがどこかから降りてきて、調子づくことではない。ポテンシャルであり、潜在し、また表面化する力である。

 

 今年もまた、CSは現行のシステムでやるしかない。まずは2位と3位のファーストステージがあるため、優勝チームはどうしても日程に間があく。10月5日に紅白戦を行った日本ハムは、あの大谷が1回3安打1四球2失点だった。セーブして投げたに決まっているが、この時期にこんな練習を強いる日程のほうに問題がある。

 

 プロ野球において、一番重要なのはペナントレースの優勝である。その勢いが、最大限に生かされるプレーオフ(CSと言ってもいいが)の制度を考えるべきである。

 

 何でもメジャーリーグがいいなどと言う気はさらさらないが、2位以下で勝率の高いチームがプレーオフに進むワイルドカードなるものを、3試合制から1試合にして、この試合に勝ったほうが次に進む方式にしたのは正解だと思う。ワイルドカードは勝率の高い順だから、日本のように負け越したチームがプレーオフに進出することはまず考えにくいが、それでもしょせんは優勝を逃したチームなのだから(あんなに地区を分けて、たくさん優勝チームを作っているのに)。

 

 日本のCSファーストステージも1試合にして、勝ったほうがファイナルに進出、という手もありますね。優勝チームに比べて、2、3位を見下している感じがいい。それくらい優勝は尊重されるべきだ。(球団経営者の側からすれば、それでは興業のうまみが減るということになるのだろうけど。だけど、長い目で見れば、捏造された極限状況は、かならず、試合の質を落とす)。

 

 メジャーでは、6日のメッツ対ジャイアンツの1試合決戦が面白かった。システムとは直接関係はないが、メッツのノア・シンダーガードとジャイアンツのマディソン・バムガーナー。両エースの本気の投げ合いである。右腕シンダーガードの捕手のミットを突き破るような剛球。左腕バムガーナ-の左打者の背中から曲がってくるスライダー(結果は3-0でジャイアンツが地区シリーズ進出)。

 

 ちなみに、シンダーガードは、大谷と同様の100マイル(160キロ)投手である。ストレートはだいたい158キロくらいと思えばいい。

 

 ただ、やはりこの日のシンダーガードの158キロは、投手から捕手へ移動する時間を感じさせた。それを感じさせなかった9月28日の大谷のほうが上なのではないか、と密かに思いながら見たのだが。

 

 ともあれ、CSが順当な結果に終わって、日本ハム対広島の日本シリーズが実現することを切に願う。そして、大谷、新井、鈴木など今季、勢いを見せつけた選手たちの対決を見たい。

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール

1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。


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