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(写真:三度、緑のベルトを手にした長谷川)

 凄まじい闘いが続いた。

 プロボクシングのダブル世界戦で、両方の試合が、ここまで内容が濃いというのも珍しい。身も心もリングに釘付けになった。9月16日、エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)決戦のことである。

 

 勝敗を分けた9Rの“果たし合い”

 

 まず長谷川穂積(真正)に驚かされた。彼はとてつもなく、ボクサーとしての生命力の強い男である。

 王者ウーゴ・ルイス(メキシコ)に挑んだWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ。以前に、このコラムでも書いたが、奇跡を願いつつも、ルイスに峠を越えていた長谷川が勝つのは難しいと私は予想していた。ところが、9ウランド終了時TKOで長谷川が勝利し、5年5カ月ぶりに世界王座に復帰、同時に3階級制覇も果たしたのだ。

 

 1ラウンドに長谷川の頭部が王者ルイスの鼻を直撃する。故意ではなく偶然のバッティングだったが、これでルイスは鼻から出血して以降、呼吸が苦しくなったのは確かだったろう。試合後にルイスは、これを敗因に挙げていた。

 

 しかし、この試合の勝敗を分けたのは、やはり9ラウンドの激しい打ち合いだった。

 

 1分30秒が過ぎた頃、王者の左アッパーがヒットし、長谷川の体がぐらついた。チャンスと見たルイスは相手をロープ際に追い込み激しく連打を浴びせる。勝負をかけたのだ。だが、ここで長谷川は臆することなく足を止めての打ち合いに応じた。

 

 ルイスのパンチはヒットしていた。にもかかわらず長谷川は体勢を崩すことなく打ち返し続ける。ド迫力の攻防だった。そして、勝負に出たはずの王者がたまらず後退。ここでルイスは力尽きたのだ。

 

 試合に、長谷川はこう話していた。

「死に場所が見つかって良かったと言う人もいますが、そんな風には考えていません。生きる場所が見つかったんです」

 絶対に諦めないという強靭なメンタルを持つレジェンドが奇跡を起こしたのだ。

 

 山中、キャリアハイのベストバウト

 

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(写真:1年前の試合ではダウンを奪えなかったモレノを幾度も倒した)

 続いて行なわれたWBC世界バンタム級タイトルマッチでは山中慎介(帝拳)が挑戦者のアンセルモ・モレノ(パナマ)を返り討ちにし、V11を果たしたが、こちらも激闘だった。倒し、倒され、また倒し。7ラウンドに山中が“神の左”で、この試合4度目のダウンを奪い決着となったが、モレノも意地を見せた。7ラウンド24秒に、山中の左ストレートがクリーンヒット。これで試合が終わったと誰もが思った。それでもモレノはカウント8で立ち上がる……。凄まじいまでの執念を感じずにはいられなかった。好勝負の多い山中だが、このモレノとの再戦は、(観る者にとって)キャリア最高の試合ではなかったか。

 

 今年の「国内年間最高試合」は、長谷川×ルイス、山中×モレノ、この2試合のいずれかで決まりだろう。まだ年末に日本人選手が絡む世界タイトルマッチがいくつも残されていることはわかっている。とはいえ、観る者の心を激しく揺さぶる名勝負には、たびたび巡り合えるものではない。そう思えるほどの“魂の闘い”であった。

 

 最後に――。

 10月9日に、第24代WBA、初代IBFの世界スーパーライト級王者のアーロン・プライヤー(米国)が他界した。心臓病を患い闘病生活を続けていたという。

 

“ザ・ホーク”のニックネームを持つ彼が80年代に魅せた荒々しくも華やかな闘い、特にアレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)戦は忘れ難い。まだ十代だった私が、最もカッコ良さを感じたボクサーだった。御冥福をお祈りします。

 

近藤隆夫(こんどう・たかお)

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『忘れ難きボクシング名勝負100 昭和編』(日刊スポーツグラフ)。

連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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