14 2016年10月18日、谷口諒は大学4年の秋季リーグ戦を終えた。横浜商科大は神奈川大学野球連盟1部制覇には届かなかったものの、9勝4敗、勝ち点4の2位で最後まで優勝を争った。谷口は2本塁打、8打点を記録。自身初のベストナインを受賞し、有終の美を飾った。なぜ、これほど実力のある選手が今年、プロ志望届を出さなかったのか。これには、佐々木正雄監督の“親心”が関係していた。

 

 横浜商科大に進学した谷口諒は、順調な野球人生を歩んでいた。学年を重ねるごとに着々と力をつけていき、3年の秋季リーグで自己ベストのホームランを記録した。すると、そのオフに谷口は佐々木正雄監督から、サードからショートへのコンバートを提案される。もちろん、プロ入りを意識してのものだった。

 

 しかし、「守備が課題」という谷口にとって、このコンバートは難境以外の何物でもなかった。恐らく、谷口自身もラストイヤーが始まる前に、違うポジションを練習するとは思ってもいなかっただろう。

 

 結局、ショートへのコンバートは、失敗に終わった。谷口は「秋のリーグ戦が終わってからずっと練習していたのに、全然上達しなかった。チームに迷惑をかける一方だったので、サードに戻りました」と、当時を振り返る。

 

 2年後、プロ入りを目指して

10 年が明けると、谷口の名前は“2016年ドラフト候補者リスト”にあがっていた。3年の秋季リーグでタイトルを獲得した強打者を、NPBのスカウトたちが放っておくわけがなかった。当然、谷口本人もプロ入りを意識していた。

 

 しかし、迎えた4年の春季リーグで、思うような結果を残すことができなかった。自己ワースト打率.243を記録。「自信がなくなった」という谷口は、春季リーグの途中で大きな決断を下す。

「監督さんが僕の気持ちを察したのか、“やっぱりプロ志望届を出すのは辞めようか”という話をしてきたんです。そこで、僕は社会人に行くことに決めました」

 

 実は、佐々木監督のもとには、複数のNPB球団のスカウトから「ドラフトで指名したい」という話を持ち掛けられていた。しかし、佐々木監督はクビを縦に振らなかった。その理由を、「プロでも使えるという判断があれば、いくらでも話に乗ったけど、谷口は社会人で2年間きっちりやって、それからプロを目指した方がいいと思った。今、プロに行ったら潰れちゃうかもしれない」と語る。

 

 社会人に行けば、最低でも2年間はプロ入りすることができない。それでも、本人はこの決断に「後悔はしていない」という。

 

 谷口の座右の銘は「夢叶うまで挑戦」。これは、高校時代の恩師である上甲正典監督から受け継いだ言葉だ。「夢は福留孝介選手みたいに、プロで活躍すること」。谷口のゴールはプロ入りではなく、トップ選手になることだ。2年後に即戦力としてドラフトで指名されるため、谷口は社会人でプレーすることを決めた。

 

(最終回につづく)

 

<谷口諒(たにぐち・まこと)プロフィール>

1994年1月10日、愛知県出身。小学4年で野球を始める。中学3年時には春日井ボーイズで第39回日本少年野球春季全国大会優勝を経験。済美高では3年時に主将を務める。甲子園出場には至らなかったが、3年夏は愛媛県ベスト4まで進んだ。13年に横浜商科大に入学すると、1年時からスタメンで試合に出場した。3年秋は打率.293、3本塁打、9打点でベストプレイヤー賞と打点王を獲得。今年から主将としてチームを牽引する。身長178センチ、体重80キロ。右投右打。

 

 

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(文・写真/安部晴奈)

 

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