終戦から19年後の1964年に開催された東京五輪は「戦後復興」のシンボルでもあった。大会の成功により、日本は名実ともに国際社会への復帰を果たす。

 

 2020年に開催される東京五輪・パラリンピックの大義名分は、確か「震災復興」のはずだった。招致段階では2020年大会に必ずしも積極的でなかった国民も、「復興五輪」という言葉には理解を示した。

 

 政治家やスポーツ界の幹部も、二言目には「復興五輪」という言葉を口にした。まるで、これが錦の御旗だとでも言わんばかりに。「『復興五輪』として復興を遂げた姿を世界に発信したい」(安倍晋三首相)「復興五輪として被災地に貢献できるよう努めていく」(遠藤利明前五輪パラリンピック大臣)「復興のシンボルとなり、被災地の皆さんに勇気を与えるような五輪を開催したい」(JOC竹田恒和会長)

 

 これだけ「復興五輪」を連呼されれば、被災地の住人じゃなくても、その気になる。小池百合子都知事の費用削減のための宮城県へのボート・カヌー会場変更案も、こうした文脈の中で議論されるべきだった。「復興五輪からスタートしているので、被災地の方々の熱意は、その原点に戻れという声なのではないか」との都知事の問いかけは依然として重い。

 

 先ごろ来日したIOCトーマス・バッハ会長は、日本人に人気のある野球・ソフトボールの被災地開催を提案した。これは以前から囁かれていたことであり、目新しさはない。震災復興に言及するなら「決勝も被災地で」と踏み込んで欲しかった。

 

 驚いたのは麻生太郎財務相の次の発言だ。「東京五輪であって日本五輪ではない」。字面だけを見れば、その通りである。IOC憲章にも開・閉会式並びに競技は、原則として<開催都市で実施されるものとする>と謳われている。

 

 だが、20年大会を招致するにあたり、多くの関係者は「オールジャパン」という言葉を口にした。「復興五輪」も、その延長線上にある。筋論を言えば、東京五輪である以上、会場は東京とその周辺に限定すべきだろう。国の関与も少ない方が望ましい。とはいえ、招致段階で強調した「復興五輪」「オールジャパン」という言葉が、東京が選ばれるための方便だったと言うのでは困る。今になって、甘言のツケを支払わされている図のようにも映る。

 

<この原稿は16年10月26日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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