73歳での現場復帰だ。中日の新打撃コーチに土井正博元埼玉西武ヘッド兼打撃コーチが就任することが決まった。

 

 

 現役時代の土井は“ユニホームを着た野武士”だった。豪快なスイングでポンポンとレフトスタンドにホームランを叩き込んだ。

 近鉄から太平洋(現埼玉西武)に移籍した1975年には34本でホームラン王に輝いている。通算465本塁打は歴代12位だ。

 

「名選手、名伯楽に非ず」というが、土井は違った。西武の打撃コーチとして数多くの強打者を育てた。

 

 土井の指導法は独特だ。まずは死球の受け方を叩き込む。選手にプロテクターを付けさせ、打席に立たせる。打撃投手役の土井は体すれすれにテニスボールを投じるのだ。

 右バッターの場合だと体が開けば、テニスボールは右ヒジや右腕の内側を直撃する。土井によれば「体の最も弱い部分」だ。最悪の場合、骨折を余儀なくされる。

 

 そこで土井は体を開かず、左肩の外側でぶつかるコツを教えた。ひらたく言えば、体をキャッチャー方向にねじるのだ。これだとぶつけられても軽傷で済むというのである。21年に及ぶ現役生活から得た知恵と経験だ。

 

 教え子のひとりに東北楽天で来年、24年目のシーズンを迎える松井稼頭央がいる。

 プロに入ってスイッチに転向した松井は、左打席に立つと徹底して内角を攻められた。当たり方が悪ければ、守備に影響が出かねない。

 

「怖がるな。上手に当たれ」。

 若き日に死球対策を徹底して叩き込まれたことが、プロでの成功につながったのだ。

 

 なぜ土井は、これほどまでに死球対策にこだわるのか。

 背景には、苦い記憶がある。ルーキーだった清原和博に、ケガ防止の技術を伝授できなかったことを、未だに悔いているのだ。

 

「アイツは教える前に4番になった。そやから教える時間がなかったんや」

 

 1年目、清原は長いリーチをいかして外角のボールを軽々とライトスタンドに運んだ。

 その新人離れした打撃を見て、パ・リーグのピッチャーは腹を決めた。外角のボールをより速く見せるために徹底して内角を突く――。

   常軌を逸した内角攻めに清原は引退するまで苦しめられた。NPB史上最多の通算死球数196という数字が苦闘の跡をしのばせる。

 

 73度といえば、球界では“最長老”だ。孫たちへの熱血塾が開講する。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2016年11月4日号に掲載された原稿です>

 


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