背番号15が永久欠番に決まった黒田博樹(広島)の現役最後の1球は、大谷翔平(北海道日本ハム)に投じたアウトローに沈むスプリット(あるいはフォーク)だった。10月25日、広島対日本ハムの日本シリーズ第3戦、6回裏のことである。

 

 黒田はこの投球の直後に体の異変を訴え、治療後、再びマウンドに登って投球練習をするも、自ら降板。そして、彼が再びマウンドに立つことなく、日本シリーズは日本ハムの4勝2敗で幕を閉じた。

 

 第3戦の試合後、大谷は<「それまで全くそういうそぶりを一切見せなかったのは凄い」>(10月26日付スポーツニッポン)とコメントしている。たしかに何度ビデオを見直しても、どこかを気にしているような仕草は見出せない。いや、わずかに足を気にしているような動きがないではないが(足がつったのだという)、そう思って探さない限り、まず気付くことはできないだろう。

 

 非凡さを証明した2本のツーベース

 

 黒田はこの日、3番大谷に2打席連続で二塁打を打たれている。察するに、どうしてももう1打席、大谷と勝負し、自分の投球で抑えられることを確認してから降板したかったのではあるまいか。あるいは、それを確認してから引退したかった。そして、実際に最後の1球で、レフトフライに打ち取ったのである。

 

 だとすれば、この日の黒田対大谷の3打席は、振り返るに値するものに違いない。

 第1打席は1回裏、1死一塁の場面である。

 

 初球。外角へ逃げて沈むツーシーム。

 大谷はこれを打って、三塁線を破る二塁打。

 

 黒田は立ち上がり、まず自らの代名詞ともなったツーシーム、すなわち左打者の外角へ逃げていくボールを配したことになる。これを大谷は、測ったように三塁線へ狙い打った。

 

 テレビ中継の解説だった古田敦也さんは「ゴロを打たせたいところにゴロを打たせて、それが結果的にヒットになってしまったんですけど、(それで黒田が)浮き足立つようなことはないと思います」と解説した。ランナーが出ても、ゴロを打たせてなんとかゲッツーをとっていくのが、黒田のスタイルなのだから、と。

 

 まぁ、そうなのでしょう。こういうヒットを打たれても、なんとか最少失点で後続を抑えていくのが、今の黒田の持ち味だ。だけど、大谷もまた、外角に武器とするツーシームがくると読んでいたから、初球からスムーズに手が出たのではないだろうか。それは、じつは、投げた黒田も感じたのではあるまいか。ともあれ、初球の外角に逃げていく軌道に対して、しっかり三塁線にもっていける大谷の巧打者ぶりには、舌を巻く。

 

 第2打席。4回裏無死走者なし。大谷は先頭打者である。

 (1)外角 ツーシーム ボール

(2)内角 カットボール ボール

 

 初球は第1打席と同じ球種ではずしておいて、2球目にインコースを攻める。しかも、そのボールに対して、大谷はヒザを引いてよけており、体勢を崩されている。

 

 しかし、それほど大きく外れたわけではない。インコースのストライクゾーンから近めに外れていく軌道だが、打席のあたりまできて、ぐいっとさらに近めのボールゾーンに食い込むカットボールだった。ボールはボールでも、大谷が予測した以上に、最後に食い込んだから、ヒザを崩されたのだろう。

 

(3)真ん中低め スライダー 空振り

 これでカウント2-1だが、3球目のスライダーが面白い。おそらくわざとスピードを落として大きく曲げたのである。だから大谷は完全にタイミングを狂わされての空振りになった。

 

 ここまで、2球目と3球目は黒田が大谷の体勢を崩すことに成功している。

(4)内角高め カットボール 右中間二塁打

 前の2球で崩したことを利用して、一転してインハイを攻める。フライアウトか見逃し、ないしは空振りを狙ったものか。

 

 ただし、わずかに甘く入った。これを大谷は見逃さない。ものの見事に振り切って、右中間をライナーで破ったのである。2球目、3球目への反応から考えても、このスイングは素晴らしい。

 

 現役ラストの直接対決

 

 そして、運命の第3打席は6回裏に巡ってきた。

(1)外角低め スプリット ボール

(2)外角 スライダー 見逃しストライク

 

 初球は1、2打席では投げなかったスプリット(フォークと言っても、チェンジアップと言ってもいいと思うが、要するに、はさんで投げて落ちるボール)。これで目先を変えておいて、2球目は第2打席でまったく合っていなかったスライダー。

 

 このボールは、外角のボールゾーンからストライクに入れる意図だったのだろうと思う。黒田の日本球界復帰とともに有名になった、いわゆるバックドアである。ただし、甘かった。むしろ2打席目も3打席目も大谷がスライダーに合っていなかったと言うべきだろう。

 

 ここまでの計7球を前提にして、打ち取るには次は何を投げるべきか。

(3)外角低め スプリット レフトフライ

 ツーシーム、カットボールのいわば横の揺さぶりから、最後はタテに落ちる変化へ。

 

 こうして黒田対大谷の3打席が終わった。“二刀流の男”は間違いなく、今季パ・リーグのMVPだった。そして“ヤンキースのエースを張った男”はこの2年間、日本野球界全体のMVPであり続けた。2人のMVPの、いわば“知略の8球”だった、と言いたい。

 

 ここまでくれば、最後にこの2人の投げ合いを見たい、というのはすべての野球ファンの願望だったのではあるまいか。そして、もし夢が実現するとすれば、それは日本シリーズ第7戦のはずだった。

 

 勝負の分水嶺となった第3戦

 

 しかしご承知の通り、広島は2連勝のあとの4連敗で、第7戦にいくことなく敗退した。

 これはもうプロの評論家も素人の野球ファンも関係なく、どなたもおっしゃることだが、流れが変わったのは第3戦である。

 

 5回3分の2を1失点で降板した黒田の後はブレイディン・ヘーゲンズ、今村猛とつなぎ広島が2-1とリードして迎えた8回裏のことである。

 

 この回から登板のジェイ・ジャクソンはシーズン中もずっと8回を任されてきたセットアッパーである。2死二塁と攻められて迎えるのは3番大谷。カープベンチはこれを敬遠して、4番中田翔との勝負に出る。

 

 中田の当たりはレフトへのライナー。打球は前進してきた松山竜平のグラブをかすめて左中間へ転々。一挙に2者生還して、日本ハムが3-2と逆転に成功した。そのまま押し切ってシリーズ初勝利をあげると、あとは一気呵成の4連勝でシリーズが決まってしまった。誰もが、ここが勝敗の行方の分水嶺だったと考える。一例として、朝日新聞の総括を引用する。

 

<(緒方孝市監督は)終盤、逃げ切りを図りながらも左翼・松山に守備固めを出さず、その松山のミスで逆転を許してシリーズ全体の流れを変えてしまった。第6戦の八回は連投で球威の落ちたジャクソンの交代機を見誤って大量失点を喫し、「自らの判断ミス」と悔いた>(10月31日付)

 

 第6戦での采配ミス

 

 第6戦についても、ふれておこう。

 王手をかけられたとはいえ、広島からすれば、これさえ勝てば第7戦にいける。そして広島での黒田の最終登板を実現することができる(日本ハムの先発が大谷の予定だったことは、後に栗山英樹監督が明言している)。

 

 4-4の同点で迎えた8回表。再びこの回から登板のジャクソンが打ち込まれる。

 2死満塁とされて、迎えるのは4番中田。ジャクソンはストレートの四球で押し出し。4-5と勝ち越された。

 

 誰が見ても交代である。しかし次打者は投手のアンソニー・バースだった。おそらくは、だから続投だったのだと思うが、なんとバースにセンター前タイムリーを打たれてしまう。次打者はホームラン王のブランドン・レアード。不思議なのは、ここでもジャクソン続投だったことだ。そして満塁ホームラン。

 

 宮本慎也さんに至っては<レアードの満塁弾は、試合を諦めた広島ベンチのせいだと言っていい>(10月30日付日刊スポーツ)とまで酷評している。

 

 もちろん、交代させたからといって、リリーフ投手がレアードに打たれない、という保証はない。そうではなくて、おそらくは見ている全ての人が交代だ、と感じただろう、その感覚と采配とのあまりにも大きな齟齬に愕然とする。

 

 非常に残念なのは試合後、ジャクソンが「こういう結果になってしまって、みんなに謝罪したい」とコメントしたことだ。6連投のジャクソンに非はまったくない。今年のカープの優勝を支えたのは、ジャクソンの8回だと言っても過言ではない。最後の最後に疲れからスライダーのキレが失われただけのことだ。あくまでも、選手にこのようなコメントを出させてしまった采配の問題である。

 

 栗山監督は第6戦で大谷を使う気は、全然なかったと言っている。二刀流の疲れを考慮した、戦略上の判断だそうだ。

 

 きっとそうなのでしょう。二刀流の疲労度など私などに想像できるわけがない。

 ただ、せっかく温存してくれたのだから、第7戦の黒田対大谷を見たかった、と繰り言のように思う。

 

 サプライズビデオに見る心配り

 

 カープがクライマックスシリーズ(CS)で横浜DeNAと戦う日、黒田がサプライズで用意したビデオを選手全員が見て、士気を高めたのだという。キャンプから優勝に至る今季の軌跡が編集してあったそうだ。DeNAにすんなり勝てたのは、黒田ビデオの効果も大きかったに違いない。

 

 さすがヤンキースの元エースはやることが違う。

 ただ注目したいのは、このビデオの音楽担当に黒田がヘーゲンズとジャクソンを指名したことだ。

 

 日本シリーズでは、7回今村、8回ジャクソン、9回中崎翔太という、いわゆる勝利の方程式にこだわりすぎた緒方采配が、大きな敗因となった(第6戦のジャクソンの続投もそのひとつ)。

 

 つけ加えれば、CSから日本シリーズにかけて、ヘーゲンズの登板が極端に少なかったのも、失敗だったと思う。もともと前半戦の勝利の方程式はヘーゲンズ→ジャクソン→中崎だったのだ。ヘーゲンズが7回を抑えることで、前半戦の首位固めができた。黒田の指名した2人の音楽担当には、おそらくはそれを称揚する彼の心配りがこめられている。

 

 10月25日、黒田が大谷に投げた8球には、デビューからメジャー時代、そして広島復帰と、彼が刻んできた経験のすべてが込められていた。

 背番号15とともに、その8球も、永久に記憶しておきたい。

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール

1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。


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