160424topics二宮: 昨年5月に設立した日本財団パラリンピックサポートセンターは、現在のところ2021年度までの時限的な組織だとお伺いしました。このまま閉じてしまうのではなく、新たな受け皿を作るなど継続できればいいですね。

根木: そうですね。各競技団体が自分たちで事務局を構えるのがベストなのか。あるいは日本オリンピック委員会(JOC)や各競技団体が入居する岸記念体育会館のようなものを新たに作るべきか。そもそも2021年までの数年間で、それぞれの団体が組織として様々な局面で機能できるように整備していかなければいけません。それができた上で、様々な議論が生まれてくるのではないでしょうか。

 

伊藤: そういう意味では、とても大きな一歩目を踏み出した状態なのかも知れませんね。今はこのようなスタイルですが、いざ始めてみたら"このやり方がいいな"という意見も出てくるかもしれません。2021年以降はどういうふうにしていくのがベストなのか。それをじっくりと吟味し、議論するまでの期間でもあるわけですね。話は変わりますが、競技団体には様々な役割があると思います。パラサポの支援もあって、大会の運営などで手一杯だったところも普及活動や強化の部分にも力を入れ始めていると思うのですが、その進捗状況はいかがでしょうか?

根木: 東京都や日本パラリンピック委員会(JPC)の主導で、パラリンピックで活躍できる競技者を探すタレント発掘事業に取り組んでいます。最初は、メディアからは注目されたけどもっとたくさんの人に参加してもらいたいという思いがありました。それが1年もしないうちにどんどん参加者も増えてきて、東京都だけではなく例えば奈良県でも陸上、水泳をやりました。そこに参加者のモデルとなるトップアスリートが参加してくれたりもしています。各都道府県の自治体や競技団体がしっかりと協力できているところもありますね。団体によってはジュニアの合宿も行っている。今後は普及と強化の間のような事業が増えていくのではと思います。

 

伊藤: 根木さんはパラサポの「あすチャレ!」プロジェクトディレクターを務められています。パラスポーツの体験型授業を行う「あすチャレ!スクール」は普及・啓発を行う事業ですよね。パラサポと競技団体が連携して全国的にパラスポーツを広げていくという動きはあるでしょうか?

根木: はい。既に様々な競技団体が体験会を独自に開催しているところもあります。それぞれが持っているノウハウもあるでしょうし、意見交換の場や競技団体に対する説明会というのも考えています。講演先の学校に向けた研修会などいろいろなかたちで実施していくつもりです。今後は連携をより深めていきたいですね。

 

 新たな挑戦で強化・普及を促進

 

二宮: パラサポの当面の課題は?

根木: パラサポがオープンしたことにより、各競技団体は様々な支援を受けられる体制ができ、注目度も上がりました。でも、何かをするに当たっては前例がないですから、経験をしたことのない問題に直面することもあるはずです。その時に"どれだけのことができるのか"。まずはトライ&エラーを繰り返し、どんどんチャレンジしていくことが必要だと思います。

 

伊藤: 今年9月にはリオデジャネイロパラリンピックが開催されます。

根木: リオに向けては選手・スタッフのサポートを全力で進めていく。やはりパラリンピックという大きな舞台でいい成績を残せるようバックアップしていきたいです。それは絶対に2020年以降にもつながってくると思いますから。

 

二宮:リオの大会中はパラサポが発信基地のような役割を担うのでしょうか。

根木: 具体的な計画は、これからです。

 

二宮:せっかくですから一般の人が入場できるようにするのもいいかもしれませんね。たとえばパブリックビューイングをやるとか......。

根木: 是非検討します。これからは昨年千葉で車椅子バスケットボールのリオパラリンピック予選を開催したように、テストプログラムとして日本で国際大会や合宿などを行うことが増えてくると思うんです。日本にいる人たちは、海外の大会を見に行くのは難しくても「国内の大会なら」と足を運ぶ人がいるかもしれません。1人でも多くの人にパラスポーツに興味・関心を持ってもらうチャンスです。そのために各団体が普及、啓発活動をしていくことも大切でしょう。僕も全国の学校を飛び回って、これからもパラスポーツの素晴らしさを伝えていくつもりです。今後は競技の枠も越えて、みんなが一丸となって、そこに向かって盛り上げていけたらいいなと思っています。

(第3回につづく)

 

1604ch根木慎志(ねぎ・しんじ)プロフィール>
1964年9月28日、岡山県生まれ。高3の冬、交通事故で脊髄を損傷し車椅子生活となる。知人からの誘いで車椅子バスケットボールを始め、98年の世界選手権で初の代表入り。2000年のシドニーパラリンピックに出場し、主将としてチームを牽引した。現在は、アスリートネットワーク副理事長、日本パラリンピック委員会運営委員、日本パラリンピアンズ協会副会長、Adapted Sports.com 代表を務め、小・中・高等学校などに向けて講演活動を行うなど幅広く活躍している。昨年5月に設立された日本財団パラリンピックサポートセンターでは、推進戦略部「あすチャレ!」プロジェクトリーダーを務める。


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