160424topics伊藤: 体験会や講演ではどのようなお話をされているのでしょうか?

根木: 子どもたちには車椅子バスケットボールをプレーする姿を見せた後、いつも最後に「僕に"障がい"があるかないか」という話をします。「"障がい"って何なんだろう? いろいろな考え方があるけど、例えば困る事というのも"障がい"かもしれないよね。じゃあ、僕には困ることがあるかないか、みんなで考えてみて」と言います。それから「困ることがあると思う人」と聞くと、小学校低学年の子たちはほとんど手を挙げないんですよ。

 

二宮: それはなぜでしょう?

根木: 初めて会う「根木さん」は、車椅子バスケでガンガン走ってシュートをたくさん決めている人だからです。子どもたちも競技を体験して、その難しさを知っている。「根木さん、すごい」と思わせるところしか見せていないので。でも世の中では「障がいのある人は24時間365日困っている」と思われているところがあります。子どもたちにそのことを話すと「いや、おかしいー」と返ってくるんです。

 

二宮: 周りが勝手に作り出してしまっている偏見があると。

根木: その後いつも「でも体育館から一歩外に出たらどうかな?」と話します。よく例に出すのが「一緒に教室で給食を食べたいなぁ」と話すんです。その教室が3階にあったとします。「エレベーターの場所教えて」と頼むと「学校にエレベーターがない......」とザワザワとし始めるんです。子どもたちに「エレベーターがあったら僕1人で行ける?」と言うと、みんなが「行ける」と答える。「エレベーターがあれば僕にとっての障がいは?」と聞けば「ない」って返事をします。そこで子どもたちに「何が障がい?」と問うと、全員が一斉に「階段!」と答えてくれるんです。

 

伊藤: そうした根木さんとのやり取りを通じて、"障がい"とは何かを学んでいくわけですね。

根木: "障がい"とは生きていく中で、不自由さを感じるものです。先ほどの例で言えば、教室に行くためにエレベーターがないことが"障がい"です。「みんなのクラスに行きたいのにエレベーターがない。どうしよう」と訊ねると、「みんなで根木さんを担ごう」「みんなで引っ張ろう」といった声が挙がります。そのどれかで教室へ辿り着くことができたら、「障がいはなくなった!」となるわけです。僕が一番伝えたいのは「"障がい"は障がい者自身が持っている、作っているものではない」ということ。みんなの力でなくすことができるんです。

 

 遊びから学ぶ柔軟なルールづくり

 

伊藤: イベント後に子どもたちが変わったことや具体的な行動に移したことはありましたか?

根木: ある小学校へ行った時に、先生と子どもたちに担いで教室まで連れて行ってもらい、給食を一緒に食べました。それから半年くらいが経って、学校から手紙が届いたんですよ。「根木さん、また遊びに来て」と。

 

伊藤: 招待状が届いたわけですね。

根木: ええ。僕は最初に行った時に「障がいをみんなの力でなくしてね」と話をしていました。この学校は校舎から体育館へ向かうためには階段を降りて昇ってを繰り返さなければいけなかった。しかし、招待を受けて行ってみると、通路にたくさんのスロープを作ってくれていたんです。スロープ自体を作ったのは先生たち大人なんですが、子どもたちはそのスロープに絵を描いて色を塗ってくれた。子どもたちの夢を書いたものがあったり、きれいなロケットやお花畑の絵が描かれていました。それを見て、涙が出そうになりました。みんなで障がいをなくしたわけですよね。僕は何の不自由もなく、この学校の体育館へ遊びに行けるようになったんですよ。

 

二宮:まさにバリアフリーになったというわけですね。

根木: また、半年前に「今日はバスケをやったけど、今度はみんなで楽しめるものを考えといてな」とも言っていたんです。それで子どもたちがドッヂボールの変則ルールを考えてくれたんです。

 

伊藤: 他にもいろいろなスポーツでルールを一緒に作ったそうですね。

根木: かなり僕に有利なものもあったんですが、僕が強過ぎたからルールを変えられた。不利なルールを作られたこともありました(笑)。実は、違う学年に車椅子のお子さんがいたんですが、そういった独自のルールを使って体育の授業を一緒になってできたといいます。先生も多少は関わっていますが、障がいのある子も一緒にできるルールを子どもたちが考えたんです。

 

伊藤: それは素晴らしい。未来を変えますね。

二宮: やはり日本は校則などの「ルール」を守る子が良い子という風潮があります。でも本来なら「ルール」はつくる、守る、変えるの繰り返しで成り立つものです。僕の持論ですが、スポーツに関しても今はだいたいサッカースクールやゴルフスクールに見られるように、スクールからスポーツを始める子が多い。そこでルールを習うことから始めて、それに従うことばかりになってしまっている気がします。だから、こうやって自分たちで考えてルールを作っていくことは、教育的にもとてもいいことだと思うんです。

 

根木: 是非僕の体験会に来てください。メチャクチャ面白いですよ。僕は出会った人と友達になるというのがテーマなんです。1回目は講師、2回目からは友達です。一度行った学校にはタイミングがあれば、顔を出しています。学校によっては何度も行った結果、謝恩会に呼ばれることもあります。保護者みたいな気分になって「よう大きくなったなぁ」と泣くことありますよ(笑)。

 

伊藤: パラリンピックサポートセンターという拠点もできましたし、これまで根木さんが体験会で伝えてきたことをもっと多くの人たちに発信していくわけですね。

根木: そうですね。今までは僕ひとりでどうしたらいいかわからないところもありましたが、パラスポーツ界全体がひとつの方向に進もうとしています。各競技団体も強化だけじゃなく普及にも力を入れ始めた。パラアスリートたちのコメントも変わってきて、競技だけの話ではなく障がいへの理解をそれぞれが発信しているように感じます。

 

伊藤: 確かに変わってきましたね。それはこの1、2年で感じるところですか?

根木: はい。おそらくアスリートたちも、当事者としてそれぞれいろいろなことを考えていたと思うんですが、これまでは発言する場面が少なかった。今後は競技が注目されることによって、次第に障がいへの理解について発信する機会も増えていくと思います。今はオリンピック・パラリンピックがすべての人、社会全体にチャンスを作ってくれている。これを生かして僕も今後の活動を広げていていきたいです。

 

(おわり)

 

1604ch根木慎志(ねぎ・しんじ)プロフィール>
1964年9月28日、岡山県生まれ。高3の冬、交通事故で脊髄を損傷し車椅子生活となる。知人からの誘いで車椅子バスケットボールを始め、98年の世界選手権で初の代表入り。2000年のシドニーパラリンピックに出場し、主将としてチームを牽引した。現在は、アスリートネットワーク副理事長、日本パラリンピック委員会運営委員、日本パラリンピアンズ協会副会長、Adapted Sports.com 代表を務め、小・中・高等学校などに向けて講演活動を行うなど幅広く活躍している。昨年5月に設立された日本財団パラリンピックサポートセンターでは、推進戦略部「あすチャレ!」プロジェクトリーダーを務める。


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