今季限りでの引退を表明した広島・黒田博樹の背番号「15」が永久欠番になるという。ご同慶の至りだ。

 

 

 広島では“ミスター赤ヘル”山本浩二の「8」、連続試合出場元世界記録保持者・衣笠祥雄の「3」に続いて3例目だ。

 

 日米通算203勝の実績もさることながら、黒田が球団に残したレガシーは永久欠番にふさわしい。

 

 松田元オーナーは、「成績だけではなく、一般社会にも影響力があったし、これまでの価値観を覆した。球団の歴史、後世にきっちりと残さなければならない」と話している。

 

 参考までに言えば、永久欠番の選手は、黒田を除いて過去に14人いる。第1号は不世出の大投手・沢村栄治の「14」と33歳の若さで他界した黒沢俊夫の「4」だ。ともに巨人時代の背番号である。

 

 3度のノーヒットノーランをはじめ数々の偉業を成し遂げた沢村は当然として、黒沢の場合、巨人に在籍していたのは、わずか3年間だけ。通算打率も2割5分9厘とパッとしない。

 

 それが、なぜ永久欠番に?

 

「自分が死んだら巨人軍のユニホームのまま葬ってほしい」

 その言葉が同僚たちの胸に響いたようだ。黒沢は47年6月、シーズン中に腸チフスを発症し、非業の死を遂げている。

 

 話を黒田に戻そう。彼はメジャーリーグでも活躍した初の永久欠番選手となる。

 メジャーリーグのパイオニアである野茂英雄は日本時代に在籍していた近鉄自体が消滅した。

 

 4年前に引退した松井秀喜の「55」は、ヤンキース移籍後09年、大田泰示に受け継がれた。

「もう僕には(巨人で)戻る所がなくなった」
 こう語ったというのだから、愉快な話ではなかったようだ。

 

 では43歳の今も現役を続けるイチロー(現マーリンズ)の場合は、どうか? マリナーズ移籍後、オリックスでは誰も「51」をつけていない。

 

 これは「いつか戻ってきて欲しい」というメッセージのようにも読み取れる。

 

 

<この原稿は『週刊大衆』2016年11月21日号に掲載された原稿です>


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