サッカーにおいて背番号9は、そのチームのエースストライカーに与えられることが多い。

 

 

 日本代表を例にとろう。1998年フランスW杯の9番は中山雅史だ。2002年日韓W杯は西澤明訓、06年ドイツW杯はFW高原直泰、10年南アフリカ、14年ブラジルW杯はFW岡崎慎司が背負った。

 

 それはJリーグも同じだ。中山は所属クラブのジュビロ磐田でも、ずっと9番だった。得点王を争っていたのが浦和レッズの福田正博だ。1989年に前身の三菱重工業サッカー部に入部以来、2002年に現役を退くまで浦和一筋。ファンからは”ミスターレッズ”の愛称で親しまれた。

 

 福田が6年間背負い続けた9番はFW永井雄一郎、FWエジミウソン、FW原口元気を経て、現在はFW武藤雄樹が受け継ぐ。

 

 その武藤が浦和のJ1セカンドステージ優勝の立役者となった。

 

 武藤がセカンドステージで奪った得点は8(10月29日現在)。総得点が34だから実に4分の1近くをひとりで奪った計算になる。

 

 なぜ、かくも武藤は点がとれるのか。彼はシャドーストライカーとして1トップのやや後方から相手DFの裏に飛び出したり、サイドからのクロスにうまく合わせることに長けている。あらかじめスペースを空けておき、タイミングよくそこに飛び込んでシュートを打つ。これは武藤が得意とする得点パターンだ。

 

 印象に残るゴールがある。セカンドステージ第16節、アウェーでの磐田戦だ。浦和はこの試合で引き分け以上ならセカンドステージ優勝が決まるとあって、選手たちは最初から意気込んでいた。

 

 ところが前半5分にFW興梠慎三が放ったシュートはバーに阻まれ、32分にはMF柏木陽介が直接フリーキックをポストに当てた。

 

 均衡を破ったのが武藤だ。後半27分、MF駒井善成が右サイドを突破し、クロスを上げる。武藤はこのクロスを下がりながら頭で合わせた。左隅を狙ったヘディングシュートがネットを揺らした。

 

 試合後、武藤は語気を強めて言った。

「プレッシャーのかかる試合でゴールを決めたいと思った」

 

 1対0。浦和は武藤の奪った虎の子1点を守り切り、セカンドステージを制した。

 

 昨季までの浦和は、点がとれないと攻め急ぎ、カウンターから失点を喫する場面が目立った。武藤の活躍もあって、セカンドステージでは、その課題が解決した。

 

 武藤は語る。

「これまでは0対0で試合が進んでいると、“早く点を決めないといけない”と(気持ちが)先走っていた。それによってチームがバラバラになる時もあった。

 

 だが今は落ち着いて試合を運べば、必ず1点は奪えるという自信がある。前線の選手も必ず守備陣は絶対に無失点に抑えてくれると思っている。チームとして落ち着きが出てきたことが(好調の)要因だと思う」

 

 チャンピオンシップは11月後半にスタートする。浦和が年間チャンピオンに輝けば、10年ぶりだ。そのカギを握る男が武藤である。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2016年11月20日号に掲載されたものです>

 


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