長年お世話になっている大阪・毎日放送のラジオ番組に呼ばれた時のこと。オンエアが終わると、番組アシスタントを務めるフリーアナウンサーの市川いずみさんに聞かれた。

 

「小池龍太って選手、ご存じですか?」

 

 いえ、恥ずかしながら。

 

「わたしが山口朝日放送にいた時に取材してた、レノファ山口の選手なんです。今度、レイソルに移籍することになって」

 

 ほう、それは大出世。

 

「あのころ、将来の目標を聞いたら日本代表ですって言ってたんです。まだレノファがJFLの時代ですから、正直、この子なに言ってんだろって思わないこともなかったんですけど、これで大きく一歩、夢に近づきましたよね」

 

 ええ、間違いなく――。

 

 市川さんは本当にうれしそうだったし、レノファのサポーターも、寂しさはありつつもわが子が大きく羽ばたこうとする場を目撃したような、言い知れぬ誇らしさを覚えているのではないか。

 

 ずいぶんと昔、初めてトリニータから日の丸をつける選手が生まれた際の関係者やサポーターの喜びようを思い出す。

 

 わたしも、なんだかうれしくなってしまった。

 

 JFAアカデミーの出身ということだから、小池龍太21歳、早くから才能は認められていたということなのだろう。だが、高校卒業後に進んだクラブがJFLのチームだったということは、これまでの日本サッカー界の常識を考えれば、早くもキャリアの上限が決まってしまったに等しかった。上から落ちてくる選手は数多くいても、下からのし上がっていく選手は少ない。海外に比べると圧倒的に少ない。それが、Jリーグの現状だったからである。

 

 だが、小池が入団した当時はJFLのチームだった山口は、翌年J3に昇格し、さらにその翌年にはJ2にまで歩を進める。つまり、小池は1年ごとにステージをグレードアップさせ、チームが久しぶりの足踏みをした今年は、小池個人にJ1からのオファーが届いたのである。名付ければ、小池龍太の三段跳び。海外ではともかく、日本ではちょっとあることではない。

 

 J3には、JFLには、多くの人が思い描く以上の才能が眠っている。運に恵まれなかったり、ケガに泣かされたりした、しかし日本代表選手に負けないぐらいの才能の持ち主が、チームごとに必ずやいる。JFLからJ1まで駆け上がった小池の存在は、今後、そうした選手たちにとって大いなる励みになるだろうし、選手を獲得する側にとっても、道は上につながっていることをアピールする格好の機会となった。

 

 ほぼ時期を同じくして、今季のJ3で旋風を巻き起こした秋田の間瀬監督がJ2愛媛の新監督に就任することも発表された。これまた、欧米では常識の、しかし日本ではあまりなかった形のステップアップ。小池龍太同様に、来季の動向を見守りたいと思う。

 

<この原稿は16年12月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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