2013-14シーズン、バイアスロン(座位)では日本人初のW杯総合チャンピオンとなり、今年3月に行われたソチパラリンピックでは、バイアスロン・ショートで銅メダルを獲得した久保恒造選手(日立ソリューションズ)。世界の舞台で輝かしい成績を残してきた久保選手を陰で支えてきたのが、スポーツ生理学を専門とする櫻井智野風氏(桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部スポーツテクノロジー学科教授)である。13年から科学トレーニングを指導し、久保の潜在能力を引き出した。「パラリンピックを目指す選手には、まだまだ伸びる余地がある」と語る櫻井氏。パラリンピックを目指す選手たちの可能性、そして環境や制度における展望と課題について訊いた。

 

伊藤: 3月のソチパラリンピックで日本人選手メダル第1号となったのが、バイアスロン・ショートで3位に入った久保恒造選手でした。久保選手が格段に力をつけて、メダル候補に躍り出たのが2013年。櫻井智野風先生の指導の下、その年の夏から始めた科学トレーニングが要因のひとつだったと聞いています。

櫻井: ちょうど私と出会った頃、久保選手はなかなかトップになり切れず、悩んでいました。いくら射撃でリードしても、最後の最後に滑りでロシア選手に負けてしまうことが少なくなかった。そこで、まずは久保選手のトレーニングを見直すことから始めたところ、いろいろと問題点が浮上しました。それを解決するためにはどうすればいいのかを、2人で試行錯誤しながらトレーニングをしたところ、久保選手にフィットしたんでしょうね。もともとある豊かな才能と相まって、成績がグンと上がりました。

 

伊藤: 例えば、どんな問題点があったのでしょう?

櫻井: 久保選手は高校まで野球をやっていたということですから、もともと根っからのスポーツ少年だったようですね。彼が子どもの頃は、時代的にどこもそうだったと思いますが、「練習は長く、疲れ切るまでやらなければ、強くなれない」というのが当然の考えで、休息をとることさえもタブーとされていた。そのため、出会った頃の久保選手は、みっちりと練習をしなければ気が済まないという感じでした。

 

伊藤: がむしゃらにやれば、強くなれると信じていたわけですね。

櫻井 そうですね。人間、誰しも、疲れを感じないとやった気にならないものなんです。でも、それでは筋肉が壊れた状態のままでいるということですから、身体は大きなダメージを受けるだけで、パフォーマンスの向上は望めないんです。久保選手にはそのことを理解してもらいました。

 

 伸びしろ十分のパラリンピアン

二宮: バイアスロンやクロスカントリーという競技は、持久力はもちろんですが、瞬発力も必要です。両方に必要な筋力をバランスよく鍛えることが重要なのでは?

櫻井: おっしゃる通りです。久保選手がそれまでやっていたのは、ほとんどが持久力をつけるためのトレーニングでした。でも、レースでは他の選手との駆け引きがありますから、ここぞという時にはパッと瞬時にスピードを出さなければいけない。ですから、スピードを出す筋力も必要なんです。そこで「トレーニングの5割くらいをスピード系のメニューにしてください」という話をしました。

 

伊藤: それまでほとんどやっていなかったわけですから、5割というのは少ないような気がしますが......。

櫻井: これは確実なデータではないのですが、腕で漕ぐハンドエルゴメーターで筋力テストをして、久保選手には瞬発的な力を出す速筋と、持久力を引き出す遅筋が、どんな割合で身についているのかを調べてみたんです。その結果、決して遅筋がほとんどだったというわけではなく、きちんと速筋もあったんです。そこで、持久力系と同じ割合でスピード系のトレーニングも行えば、さらにパフォーマンスは上がるだろうと踏んだわけです。

 

伊藤: それが久保選手を一気に金メダル候補にのし上げた要因だったんですね。

二宮: その久保選手の前に立ちはだかったのが、ロシア勢でした。ソチでは、表彰台を独占するなど、圧倒的な強さを見せたわけですが、専門家の目にはどう映ったのでしょう?

櫻井: 勝因は絶対的なパワーだったと思いますね。もう、筋肉隆々で身体の大きさがまったく違いましたから......。ウエイトトレーニングで相当鍛えたんでしょうね。加えて持久力にも磨きをかけてきたのだと思います。

伊藤: よく選手たちは、駆け引きの中で「ギアを上げる」とか「ギアチェンジする」という言い方をしますが、そういう「ここぞという時」にはどんな力が必要なのでしょうか。

櫻井: 大きな力強い筋肉があればあるほど、ギアチェンジが楽にできます。しかし、バイアスロンやクロスカントリーのように、持久力系の競技では、大きな筋肉があり過ぎると、重荷になって、かえってそれが仇になる。ところが、ソチで見たロシア選手は、あれだけ筋肉をつけても、スタミナが切れなかったんです。改めて今後、久保選手を含めて日本の選手も、トレーニングの仕方を考えていかなくてはいけないと痛感させられました。

 

二宮: 久保選手も「国を挙げて強化を図るロシア勢に勝つには、日本も国レベルでやっていかないといけない」と言っていましたが、国の体制づくりも重要になってきますね。しかし逆に考えれば、日本のパラリンピック選手にはまだまだ伸びる余地があるということですよね。

櫻井: 間違いなく伸びしろはあります。私ひとりがやっただけでも、久保選手のパフォーマンスが上がったわけですから、国レベルで科学トレーニングをパラリンピック選手に落とし込めば、レベルアップする選手が数多く出てくるはずです。オリンピック同様、今後はパラリンピックも国レベルでの強化は必須だと思います。


(第2回につづく)


櫻井智野風(さくらい・とものぶ)プロフィール>
神奈川県生まれ。1991年、横浜国立大学大学院教育学研究科保健体育学専攻修了。1992年より東京都立大学理学部体育学教室助手、2006年より東京農業大学生物産業学部健康科学研究室准教授を経て、2014年4月より桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部スポーツテクノロジー学科教授となる。『乳酸をどう活かすか』(杏林出版)、『ランニングのかがく』(秀和システム)など著書多数。日本陸上競技連盟普及育成部委員。日本トレーニング科学会理事。


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