二宮: 田口さんの病気が発症したのは突然だったんですか?

田口: はい。社会人4年目の頃、休暇で自宅にいた時に、急に激しい痛みに襲われたんです。家族は仕事に出かけていて一人だったので、這うようにしてやっとのことで電話のところまで行って救急車を呼びました。前日まで何でもなかったのに、病院に着いて、医師から「ちょっと足を上げてみて」と言われた時には、もう足がまったく上がらなかったんです。

 

二宮: 何の前触れもなかったんでしょうか?

田口: 私自身は覚えていなかったのですが、休暇前に同じ船で仕事をしていた船医さんには、「胃の上の部分がピリピリする」とは言っていたようなんです。それが関係しているのかはわかりませんが、脊髄の中の血管が破裂して、それが神経を圧迫して中枢神経を傷つけてしまったんです。

 

二宮: 車椅子生活になることが分かったのは、いつですか?

田口: 最初は全く車椅子生活になる覚悟なんてしていませんでした。そもそもリハビリは歩けるようになるためのものだと思っていましたから。でも、脊髄損傷専門のリハビリ病棟がある病院に転院した時、初めて現代の医療では歩けるようにはならないとはっきりと言われたんです。それまでは、いつかは歩けるようになると信じていましたから、本当にショックでした。正直、今でも現実を受け入れきっているかと言えば、そうではないと思います。やっぱり歩くことに対して、どこかでこだわっていますし、鏡を見ると、ふと「何で私、車椅子に乗っているんだろう?」って、発症から15年経った今でも思うことがあるんです。

 

 痩せても太ってもダメ

 

二宮: 脊髄損傷ということですから、腹筋はまったく使えませんよね。銃を構える時にはどこで支えているんですか?

田口: 射撃の中でも障害の度合いによってクラス分けがされているのですが、私の場合は上肢で銃を保持することのできるSH1というクラスです。SH1クラス種目には「立射」「膝射」「伏射」の3つの姿勢があり、それぞれ規定があります。私はまったく腹筋が使えないので、車いすにテーブルを設置し、両肘を置いて撃つ「伏射」の競技に出ています。

 

二宮: 頬に銃をつけていますが、それも支えになっているのでしょうか?

田口: 頬を当てる部分を「チークピース」というのですが、構える時の姿勢には非常に重要になります。例えば、私はパラリンピックのような大きな舞台になると、なかなかご飯が食べられなくて痩せてしまうんです。見た目にはわからないくらい、本当にちょっと頬がこけることもある。そうすると構えた時に、頬がこけた分だけチークピースの位置が中に入ってくるので、狙点とズレが生じてくるんです。そのズレを修正するためにチークピースは自分で動かせるようになっているのですが、そうすると他の部分の調整も必要になる。ですから、体型が変わらないようにしなければいけないんです。

 

二宮: 痩せても太ってもダメだと。大会期間中、ベスト体重をキープし続けるのは大変ですね。

田口: 本当に大変です。自分のベストの状態に合わせて銃を設定していますので、体型の変化には注意しなければいけません。とはいっても、緊張や疲労で食べられないこともあります。食べ過ぎてしまって太った場合は努力して痩せることはできますが、痩せてしまった時はそうはいきません。ですから、そういう場合はいかに自分に合った銃の調整ができるか。普段から、いろいろな状況を想定しておかなければならないんです。

 

(第4回につづく)

 

田口亜希(たぐち・あき)プロフィール>
1971年3月12日、大阪市生まれ。大学卒業後、郵船クルーズに入社。25歳の時、脊髄の血管の病気を発症し、車椅子生活になる。退院後、友人の誘いでビームライフルを始め、その後ライフルに。アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場。アテネでは7位、北京では8位に入賞する。現在は郵船クルーズに勤務する傍ら、競技生活を続けている。英語も堪能で、2016年五輪招致活動では最終プレゼンターを務める。今年3月には、20年五輪招致における国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の前でプレゼンテーションを行なった。


◎バックナンバーはこちらから