ご多分に漏れず、きっかけは「あまちゃん」だった。あれから3年がたつが、毎朝8時になるとNHKにチャンネルを合わせる習慣はいまも続いている。

 

「ファースト・ペンギン」という印象的な言葉と出会ったのは、昨年のいまごろやっていた「あさが来た」の中だった。群れの中から最初に海へと飛び込む勇敢なペンギンのことだという。リスクは高い。命を落とす可能性もある。それでも最初に飛び込むペンギンがいなければ、群れはいつまでも陸上にとどまらなければならない――。

 

 先日発表された米メディアによる「野球史でもっとも重要な40人」の中に野茂英雄さんの名前があったのも、彼こそが「ファースト・ペンギン」だったと考える関係者が多かったということだろう。厳密に言えば、日本人初のメジャーリーガーは村上雅則さんなのだが、日本人がメジャーリーグでプレーするのが当たり前となる時代をつくったのは、間違いなく野茂さんだった。

 

 世界のサッカーシーンに目を向けてみても、野茂さんと同じような位置づけができそうな選手は何人もいる。憎悪に満ちたブーイングを浴び続けながら、ついにはプレミアリーグ初のフランス人主将となったエリック・カントナなどは、その象徴的な例と言っていい。英国人として初めてブンデスリーガに飛び込んだケビン・キーガン、フォークランド紛争のさなかにあってもスパーズのファンから愛されたオジー・アルディレス……彼らはプレーすることによってその国の国民感情まで動かしてしまった。

 

 そろそろ、同じことが起きるのかな、と思う。日本と中国の間に、である。

 

 中国の選手がJリーグでプレーしたことがないわけではない。日本の選手が中国でプレーしたこともある。だが、以前として中国のファンにとっての日本は遠く、日本のファンにとっての中国は遠い。言ってみれば、カントナが初めてリーズ・ユナイテッドのユニホームに袖を通したころと似たレベルにある。

 

 だが、かつてはあれほど憎悪の対象とされたフランス人が、昨季のプレミアリーグでは70人を超えた。フランスの選手が腕に腕章を巻くのも、少しも珍しいことではなくなった。

 

 わたしは、「隣国だから仲良くすべきだ」という考え方が好きではない。不仲であってもかまわない、とは思う。ただ、不仲を願うわけでは断じてない。不仲であるよりは、親しみを感じあう関係の方がいいに決まっている。そして、スポーツは、心の壁を壊す上で大きな力となる。

 

 浦和・槙野の獲得に広州恒大が乗り出していたという話を聞いた。条件は破格。断ったようだが、行くべきだったか、残るべきだったかは、わたしにはわからない。

 

 ただ、間違いなく言えることもある。現在の日中関係を考えた場合、槙野にせよ、他の誰かにせよ、これから中国に渡る者は、日中両国にとっての「ファースト・ペンギン」となる。そして、いつか必ず、ペンギンは現れる、ということも――。

 

<この原稿は16年12月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから