背中で引っ張るとは、こういうことだ。
クラブワールドカップ準決勝、鹿島アントラーズ(開催国枠)は南米王者のアトレチコ・ナシオナル(コロンビア)に3-0と快勝してアジア初となる決勝進出を決めた。後半早々に交代を告げられたが、ずっと先頭に立って粘り強い守備を披露していたのがキャプテンの小笠原満男だった。
中盤の底で睨みを利かせて敵の侵入を防ぎ、セカンドボールにも食らいついた。キャプテン自らの陣頭指揮が、ジリジリと鹿島に流れを引き寄せたのだった。
川崎フロンターレ、浦和レッズとのチャンピオンシップでもデュエルで負けない小笠原の強さと冷静な対処と読みが、ディフェンス陣を助けた。鹿島の持ち味である素早い攻守の切り替えも、彼から“発信”されていた。
小笠原の守備は、イタリア仕込みだ。
10年前、ドイツW杯後に彼はセリエAのメッシーナに渡った。先輩の柳沢敦も所属したシチリア島のクラブで1シーズン過ごし、リーグ戦はわずか6試合の出場にとどまっている。鹿島や日本代表では攻撃的MFとして2列目で活躍していたが、イタリアではボランチに回った。先発2戦目のエンポリ戦(10月)では左足ボレーで初ゴールを奪いながらも、ボランチのレギュラーが戻った次節からはリーグ戦でベンチ外が続き、12月のフィオレンティーナ戦を最後に出場機会は途絶えることになった。
しかし小笠原にとって、失われた1年ではなかった。
彼はこう語っていた。
「紅白戦が、俺にとってはセリエAでしたからね」
練習ではつかみ合い、削り合いは当たり前だった。エスカレートしても誰も止めやしない。チームとして決まりがあるのは、殴ったら罰金ということぐらい。小笠原自身、胸ぐらをつかまれたこともあった。セカンドボールになれば、ただただ体を当ててレギュラーの選手からボールを奪い取ることに執念を燃やしていった。
小笠原の言葉を思い出す。
「(メッシーナでは)ほぼ格上相手なんで、ボール支配率が低い。やっぱり球際で奪わなきゃいけないし、セカンドボールを拾わないといけない。今までそんなに強く意識してない部分をイタリアでは求められました。自分に足りない部分だったし、それが凄く新鮮だった。
ましてや試合に出られないんで、試合に出ているヤツから絶対にボールを奪ってやるって思っていたし、紅白戦で絶対にいいプレーしてやるって思っていました。みんな試合に出たいからガチャガチャやりあうのが、俺のなかでは凄く楽しかったし、面白かったですね」
紅白戦でやり合って向上させたディフェンス力。
止める、つぶす。ボールホルダーに対して飛び込み、体をぶつけてボールを奪い取る。そのコツを体得して、07年7月に彼は鹿島に復帰した。
そこからチームは史上初のリーグ3連覇を成し遂げ、09年には30歳でMVPに輝いている。小笠原にとってメッシーナの1年が、ターニングポイントになった。イタリア仕込みの守備が新たな持ち味となり、鹿島の不動のボランチとして君臨している。
海外移籍に目を向ける選手が多い今、彼は「Jリーグでも全然成長できる」と語っている。日本と海外の両方を経験しているからこそ、はっきりとそう言える。
その言葉を証明するように、鹿島はクラブワールドカップで決勝に進んだ。
世界が注目する一戦で、小笠原満男が先頭に立って日本の意地を見せる。
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