1612suzuki13「走りの柔らかい子だなぁ」。宇和島東高校1年の鈴木健吾を初めて見て、神奈川大学陸上競技部のヘッドコーチを務める村松高雄はそう感じたという。当時はまだ全国区では全くなかったが、「話してみて“強くなりたい”との意欲もありました」と“この子は伸びる”と直感した。

 

 鈴木の成長を期待したのは村松だけではない。神大の大後栄治監督もそのひとりだ。大後が彼を初めて目にした時の印象はこうだ。

「いい刻みをする走り。“長距離選手のタイプだな”と感じました。コツコツ練習を積んでいけば活躍できる」

 

 愛媛にいた隠れた原石。神大のスタッフ陣は熱心に勧誘した。大学でも陸上を続けたいと思っていた鈴木の心は迷わなかった。

「高校の監督やスカウトの方から『これからの勢いのあるチーム』と聞きました。環境もクロスカントリーのコースがあるなど整っている。ここ最近はスカウトも充実しているということで決めさせていただきました」

 発展途上である自分と、強豪復活に懸ける神大の想いがマッチしたのだろう。自らが強くなるために“ここだ”と選んだ道だった。

 

 視線の先に大きな目標が広がったことにより、鈴木の成長は加速した。そして大分で開催された全国高校総合体育大会(インターハイ)では5000メートルで10位に入った。予選では自己ベストを叩き出した。夏の九州という状況下での記録更新は特筆に値する。

 

 大後は当時を懐かしそうに振り返る。

「“暑いのに強い選手だな”と思いました。ここでベストを更新する勝負強さも持っている。“これはいい選手をとれたな”と。よその大学の監督からも『誰だあれは!?』と言われていました」

 大後も驚く成長ぶりだったが、“自身の目に狂いはなかった”と鈴木が証明してくれたレースでもあった。

 

 “洗礼”を浴びたデビュー

 

 2014年春、鈴木は高校を卒業した。神奈川県横浜市での新生活をスタートさせる。「高校は通いだったので、寮生活は経験がなかった。ちょっと不安はありましたけど、先輩たちもよくしてくださいました」。秋に大学駅伝シーズンを迎えると、1年時の全日本大学駅伝対校選手権大会(全日本大学駅伝)で三大学生駅伝デビューを果たす。3区を任され区間9位。デビュー戦にしてはまずまずの出来だった。

 

 そして鈴木にとって「東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝)は「憧れの舞台」へは意外にも早く立つことができた。箱根デビュー戦は6区を任された。山下りのスペシャリスト区間だった。そして復路の先陣を切る重要な役割でもある。上位10校までに与えられるシード権を狙う神大は往路で14位だった。1位・青山学院大学との差は既に15分11秒もついていた。

 

1612suzuki2 1年生の鈴木は山下りに得意意識があったわけではない。ただ任された区間は全うする。その想いだけだった。6区は芦ノ湖から小田原中継所までの20.8キロを走る。復路は1位から10分以上離されている8位以下が一斉スタートとなる。

 

 6区は最初の4キロを上ると、そこから10キロ以上下りが続く道のりだ。しかし、鈴木は序盤の上りで離された。「気持ち的にもやられて、そこでずるずると下っていく感じでした」。下り坂を終えると、道はほぼ平坦に戻るのだが、ずっと下り続けていたランナーにとっては上りにも感じる。

 

 上位からはみるみる離されていいく。箱根での“洗礼”はそれだけではなかった。新春の風物詩、箱根駅伝では沿道に多くの観衆が集まる。聞こえてくるのは温かい声援ばかりではない。

「応援もすごかったのですが、それ以上に『何やってんだよ』の声の方が耳に入ってきたんです。“すごい世界にきてしまった。生半可な気持ちで競技を続けたらダメだな”と感じました」

 

 終わってみれば1時間2分42秒で襷を繋いだ。区間19位。18位にすら1分以上の差をつけられた。「雰囲気だったり、緊張感は他のレースに比べて全然違いました」と鈴木。「アップが集中できなかったり、それに向かっていくチームの雰囲気も全然違う。憧れで、夢の舞台が楽しみというよりは緊張だったりプレッシャーの方が強かったですね」。神大もシード権獲得はならず、ほろ苦い箱根デビューとなった。

 

 悔しさを糧にエースへ成長

 

 悔しさを糧に強くなる――。大学2年になると、鈴木は神大のエースへと成長する。7月、ホクレンディスタンスチャレンジ網走の1万メートルで28分53秒67を記録し、1万メートルの自己ベストを更新した。11月の全日本大学駅伝では東洋大学の服部勇馬、青山学院大の一色恭志らエース級が集う1区にエントリー。区間9位ではあったが、1位とは17秒差で後続に襷を渡した。

 

 箱根駅伝予選会ではチームトップの全体9位。箱根駅伝では2区を任された。通称“花の2区”。エース区間を託されたうれしさよりも責任感が勝った。「しっかりトライして、エースの人たちに挑戦していこうという気持ちの方が強かったですね」。2区スタート地点の鶴見中継所、トップとは2分4秒差の15位で襷を受け取った。

 

「盛り返さないといけないと思って臨んだんですが、他もエースなので、そういうこともできず1人で23キロを走りました。結局、何も絡めずに23キロ走って、そのまま終わってしまった」

 横浜駅前、権太坂へと進んでも順位は15位のまま。前との時間ばかりが離されていった。1時間10分21秒で区間14位に終わった。神大はまたしてもシード権を掴めなかった。

 

 確かな成長の手応えを得たものの、「力不足」を痛感したシーズンでもあった。鈴木にとって「2区で戦える力があると自信を持っては言えなかった。そういう部分で走る前から不安は多少なりともありました。出遅れている分、最初は突っ込んででも集団に追い付かなければいけなかった」と悔やむレース内容だった。

 

「1年生よりの時よりは成長を感じましたが、箱根ではいい走りができなくて、不甲斐なさが残りました。1年間の最後は箱根駅伝なので、いい気分で終われなかった」

 そして鈴木は決意を新たにする。「どんな状況でも、流れを戻したり、変えることができる選手が強い選手でエースです。そういう選手にならないといけない」。真のエースへ――。鈴木は更なる強さを追い求めるようになる。

 

(最終回につづく)

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dsc04205鈴木健吾(すずき・けんご)プロフィール>

1995年6月11日、愛媛県宇和島市生まれ。小学6年時に陸上を始める。城東中学を経て、宇和島東高校に入学。3年時にはインターハイに出場し、5000メートルで10位に入った。同年は全国高校駅伝にも出場した。14年に神奈川大学に進学し、1年時の全日本大学駅伝で三大学生駅伝デビューを果たす。15年の箱根駅伝は6区、16年は2区を走った。今シーズンは3年生ながら駅伝主将を任される。関東インカレ2部の1万メートルで3位入賞。箱根駅伝予選会では日本人トップ、総合3位の好成績でチームの本戦出場に貢献した。身長163センチ、体重46キロ。

 

(文・写真/杉浦泰介、競技写真提供/神奈川大学)

 

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