東北楽天の星野仙一球団副会長は、名うての“人たらし”である。

 これまでも数々の“殺し文句”で欲しい人材を手に入れてきた。

 

 

 たとえば阪神の監督時代には、広島をFA宣言した金本知憲(現阪神監督)を、こうやって口説いた。2002年の秋のことだ。

 

「プロ野球界全体のことを考えてくれ」

 

 阪神は1985年にリーグ優勝を果たして以来、17年間も優勝から遠ざかっていた。

 阪神が強くなればセ・リーグはもとより、プロ野球全体が盛り上がる。球界活性化のためにオマエの力を貸して欲しい――。男冥利に尽きる口説き文句である。

 

 FA移籍1年目の03年、金本は3番打者として打線を牽引し、阪神の18年ぶりのリーグ優勝に貢献したのは周知のとおりだ。

 

 星野は闘志をむき出しにするタイプの選手を好む。中日監督時代の88年オフ、巨人から中尾孝義とのトレードで西本聖を獲得する。巨人ではコーチと衝突するなど“和を乱す”とのレッテルを貼られていた西本だが、マウンド度胸と投球術は一級品だった。

 

 移籍後、初先発となるヤクルト戦。打線の援護に恵まれない西本は孤軍奮闘していた。

 

 そこへ星野のカミナリが落ちる。

「オマエら、いい加減にせいよ! ニシがこんだけ放っとるのに、点をとらんかい!」

 

 試合には負けたものの、この一言に西本は大いに勇気付けられたという。

「あの言葉を聞いて、体がジーンとしびれました。巨人で不遇をかこっていた僕には、ものすごく新鮮な感動がありました」

 

 この年、西本は自身初の20勝(6敗)をあげ、最多勝と最高勝率に輝くのである。

 

「闘将」と言えば星野の代名詞だ。かつて、自らの指導者像について問うと、「ボクシングのセコンドタイプ」という答えが返ってきた。

 

 実に適確な自己分析である。アメとムチの使い方が絶妙なのだ。そして、ここ一番での殺し文句――まさに“人たらし”である。

 

「復興に向けて東北を元気にしよう」

「もう一度、奇跡の扉を開けて欲しい」

 

 埼玉西武をFA宣言した岸孝之に、星野は女性でも口説くようにラブコールを送った。宮城県生まれの岸の“郷土愛”に訴えかけたのだ。

 

 これが功を奏し、岸の楽天入りが決まった。

 東北の星に――。これ以上の口説き文句は他にあるまい。

 

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2016年12月16日号に掲載された原稿です>


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