「ブロンズコレクター」と呼ばれた陸上短距離選手がいる。ジャマイカからスロベニアに国籍変更したマリーン・オッティだ。

 

 

 以下の成績を見て欲しい。オリンピックでは銅メダルばかりだ。1980年モスクワ大会200メートル、84年ロサンゼルス大会100&200メートル、92年バルセロナ大会200メートル、96年アトランタ大会400メートルリレー、2000年シドニー大会100メートル。

 

 オリンピックでは96年アトランタ大会100&200メートル、00年シドニー大会400メートルリレーの銀が最高だ。7回のオリンピックで9つのメダルを獲得しているが、そのうちの6つが銅だ。残念ながら金はひとつもない。

 

 オッティが「ブロンズコレクター」なら、サッカーJ1の川崎フロンターレは、さしずめ「シルバーコレクター」である。こちらは2位ばかりだ。

 

 97年のクラブ創設以来、J1準優勝3回、ルヴァン杯(旧ナビスコ杯)準優勝3回。J2での優勝を除けば、頂点に立ったことは一度もない。

 

 12年に風間八宏が監督に就任して以来、川崎は攻撃的なサッカーを標榜してきた。その看板に偽りはなく、今季もJ1最多の68得点を記録した。

 

 だが年間勝ち点は2位。J1年間王者を決めるチャンピオンシップも準決勝で敗退した。

 

 ホームの等々力陸上競技場に迎えた相手は鹿島アントラーズ(年間勝ち点3位、ファーストステージ覇者)。川崎は引き分け以上で決勝にコマを進めることができた。

 

 後半5分、鹿島に先制点を許したものの、1点差ならまだわからない。川崎Fは積極的にボールを動かし、何度もチャンスをつくった。だが、決められない。

 

 このチームの司令塔は36歳の中村憲剛だ。前半21分からピッチに立ち、故障明けとは思えない動きを見せた。

 

 後半22分には大久保嘉人からのパスをペナルティーエリアで受け、左足を振り抜いた。惜しくもゴール右に外れた。

 

 無情のホイッスルが鳴り響いた瞬間、何人かの選手たちはピッチに崩れ落ちた。

 

 試合後、中村は肩を落として、こう語った。

「今は何も考えられない。喪失感が大きすぎる。自分が決めるところを決められなかった。それだけです」

 

 監督の風間は、「今日の試合は負けたが、すべてのところで負けたとは思っていない。素晴らしい戦いをしてくれた敗者だと思う」と選手をねぎらった。

 

 中村には今季限りで退任する指揮官を「男にしたい」との思いがあった。

 

「30歳を過ぎれば技術的にも伸びないと思っていた。ところが風間さんは“まだ伸ばせる”と言うんです。トラップの技術ひとつもそうだし、パスも意識次第で速さも精度も変わる、と。個人の質も高くなればチームも変わる。そういう発想を持った指導者は初めてでした」

 

 シーズン前から目標に掲げていた年間王者こそ達成できなかったが、まだ天皇杯が残っている。川崎Fは現在、ベスト4に進出している。笑顔の元旦にしたい。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2016年12月18日号の原稿を一部再校正したものです>

 


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