いい決勝戦だった。もちろん、天皇杯のことである。

 

 鹿島のしたたかさ、勝負強さは感嘆に値する。12月のチームを牽引した金崎の姿はベンチにすらなく、クラブW杯で世界的注目を集めることになった柴崎も、好調時に比べれば2割か3割の出来だった。少なくとも、攻撃面で見るべきところはまったくなかったにもかかわらず、それでも2点を奪い、19個目のタイトルを獲得してしまうのだから、まったく、ただただ感服するしかない。

 

 だが、わたしが一番強く胸を打たれたのは、川崎Fのサポーターたちの姿だった。

 

 吹田スタジアムに足を運んだサポーターの数は、鹿島とほぼ互角だったと言っていい。だが、チームのために歌いあげる声の音圧は、Jリーグ発足当時から熱狂的なことで知られる鹿島をも完全に上回っていた。

 

 わたしは川崎Fのサポーターでもなんでもないが、それでも、彼らの気持ちを推測することはできる。きっと、20年前のジョホールバルなのだ。焦がれて、焦がれて、焦がれまくってきたものに、あと一つ勝つだけで手が届く。憧れすぎて冗談にもできなかったものが、あと一歩で手に入る。あの時、わたしは冷静ではいられなかったし、17年元日の川崎Fサポも、平静さとはほど遠いところにいた。

 

 印象的だったのは、ハーフタイムの光景である。トイレなのか飲み物などの購入なのか、かなりの数の鹿島サポーターは席を立ち、ゴール裏に空席を出現させていたが、川崎Fのサポーターは、ほとんどそのまま居すわっていたのである。

 

 それだけではない。2位の表彰が終わり、あとはあまりにも苦い鹿島の歓喜を眺めるだけ、という段になっても、川崎Fサポは席を立たなかった。小笠原からカップを譲られた石井監督がまるで“タメ”をつくらないままカップを掲げた時も、セレモニーを見届けた反対サイドのサポーターたちがスタジアムをあとにし始めてからも、まだスタンドに残っていた。

 

 残って、選手や監督が挨拶に来るのを待った。

 

 鹿島がそうしていたように、川崎Fもまた、優勝した際に着用するTシャツは準備していたはずである。カップと、Tシャツと、そして皆の笑顔。3つの宝物をセットにして撮影されるはずだったサポーターをバックにした記念写真に、宝物は1つも写っていなかった。

 

 だが、そこに空席はなかった。あって当然の空虚な空間は、涙を浮かべたサポーターによって依然埋められていた。

 

 このチームは強くなる。このサポーターがいて、強くならないはずがない――そう思わずにはいられなかった。

 

 鹿島にとっては、常勝軍団としての地位をさらに固める、大きな勝利だった。ただ、その勝利は同時に、川崎Fを新たな宿敵として育てることになるかもしれない。ドーハでの痛みが、ジョホールバルへとつながったように。

 

<この原稿は17年1月5日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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