13 昨秋のNPBドラフト会議で、準硬式野球からの“シンデレラボーイ”が誕生した。東北楽天に6位指名を受けた鶴田圭祐(帝京大準硬式野球部)だ。準硬式野球出身者のプロ入りは7年ぶり。同大学準硬式野球部からは初のケースである。帝京大に入学した当初は、鶴田にとって、プロの世界なんて夢のまた夢だった。「普通に就活しようと考えていた」という鶴田の人生をガラリと変えた転機とは――。

 

 入学してから3年の春季リーグまで、帝京大は東都大学準硬式野球二部リーグに属していた。鶴田は1年の秋から先発ローテーションを担うようになると、主にチームの2番手として活躍した。3年時にチームは春季リーグで優勝。國學院大との入れ替え戦を制し、25年ぶりに一部復帰を果たした。

 

 一部リーグとなると、相手チームの研究も抜かりない。鶴田の登板日には他校の学生が偵察に来ていた。ある日、鶴田はいつも通りのピッチングを見せる。180センチの長身から繰り出されたストレートは、偵察に来た学生の持つスピードガンで「149キロ」を表示した。

 

 球速以上の価値

 

12 準硬式球は、外側が牛皮ではなくゴム製でコーティングされているため、空気抵抗が大きくなり、硬式球よりも球速が出づらい。一般的に準硬式と硬式では、球速が4、5キロ変わると言われている。つまり、鶴田がマークした149キロは硬式でいう150キロ以上の価値を持つということだ。

 

 彼を指導する浅野修平監督(帝京大準硬式野球部)は当時を振り返り、「これまで計測する機会がなかったのですが、見た感じ140キロは超えているとは思っていました。でも140キロと149キロでは、世界が変わるのでさすがにびっくりしましたよ」と声を弾ませた。

 

 この日、偵察に来ていた学生たちがSNS上でつぶやいたことがきっかけで、鶴田の情報は瞬く間に拡散された。プロのスカウトたちの耳にも入るのも、そう時間はかからなかった。これまでほとんど脚光を浴びていなかった鶴田の大学生活が、180度変わった瞬間だった。

 

 そして迎えた4年の春。プロのスカウトたちは鶴田のピッチングを一目見ようと、ネット裏に集まった。これが鶴田にとっては、プレッシャーになってしまった。4試合に登板し、2勝1敗。防御率4.58だった。チームも入れ替え戦に回り、二部降格の憂き目に遭ってしまった。それでも彼はプロ入りをはっきりと意識するようになった。4年の夏、鶴田は決断を下す。

 

(第2回につづく)

 

%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%95<鶴田圭祐(つるた・けいすけ)プロフィール>

1994年5月12日、滋賀県出身。小学3年で野球を始め、中学時には野洲ブレーブスでプレーした。10年に香川の藤井学園寒川高に入学すると、1年秋に投手から外野手に転向する。2年秋の県大会で優勝し、四国大会に出場した。高校3年間で甲子園出場は果たせなかった。13年に帝京大に入学すると、準硬式球野球部に入部。チーム事情で投手に再転向した。3年春に149キロをマークし、一躍プロスカウトの注目を浴びる。10月のNPBドラフト会議で、東北楽天に6位で指名された。身長180センチ、体重88キロ。左投左打。

 

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(文・写真/安部晴奈)

 

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