W杯の本大会出場枠が増える。アジアの枠も増える。ということは、今までよりも本大会出場は簡単になる――と考えたに違いない。80年代から90年代の中東勢は。

 

 20世紀終盤、アジアのサッカーのリーダーは間違いなく中東勢だった。アジアからの出場枠が1つか2つしかなかった時代でさえ、確実に本大会出場を果たしていた彼らからすれば、出場枠の拡大は朗報以外の何物でもなかったはずだ。

 

 だが、新たな市場の獲得を目指したFIFAの目論見ほどには、彼らの希望は叶わなかった。増えた枠は、中東勢ではなく、当時の彼らが歯牙にもかけなかった日本や、元来はオセアニアに所属していたオーストラリアに持っていかれるようになってしまった。近くなったW杯との距離感は、弱小ともされた国々にも大きなモチベーションを与える結果となったからである。

 

 だから、たとえW杯本大会出場国が48カ国となり、アジアの枠が大幅に拡大することになったとしても、それが日本の予選突破をたやすくするとの考えは安易に過ぎる。右肩あがりの経済成長を続ける東南アジアは、これで間違いなく本大会出場に本気になる。現時点では存在しないライバルが、大挙して出現することになるわけだ。

 

 大会規模が拡大することで、開催が可能となる国はいまよりも少なくなることが考えられる。FIFAとしては、一度は禁じ手にした「共催」を再び解禁する考えのようだが、一方で、欧州各国では孤立主義、自国第一主義が進行しつつある。果たして、FIFAの思惑通りに進むかどうか。

 

 日本での開催はどうか。このままではかなり難しい、というのが個人的な印象だ。経済力や社会的インフラについては問題ないだろうが、いかんせん、肝心のスタジアムが貧弱すぎる。

 

 世界中のファンにとって専用競技場が常識となりつつある中、クラブW杯の決勝を陸上トラックのついた会場で行わざるをえない日本の現状は、すでに完全な時代遅れである。

 

 日本人としてではなく、サッカーファンとして言わせていただくと、スタジアムの質、さらには気候の点から見ても、W杯は日本よりもオーストラリアで開催してもらった方がよっぽどいい、というのが本音だ。

 

 残念ながら、五輪やW杯といった世界的なイベントの開催が決まらない限り、野球以外のスタジアムが新設されることはまずないこの国で、では、いかにしてサッカー専用競技場を増やすべきなのか。一つ提案したいのが、天皇杯決勝の有効活用である。

 

 ご存知の通り、今年の天皇杯決勝は大阪で開催されたが、今後は、4万人規模の専用競技場を持つ都道府県での開催としてはどうか。スタジアム建設のために奮闘している地方にとっては、ちょっとした力となるのではないか。天皇杯決勝がアメフットのスーパーボウル的存在になれば、日本のサッカーはより社会と密接な関係を持つことになる。

 

<この原稿は17年1月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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