国際サッカー連盟(FIFA)は10日、2026年ワールドカップ本大会の出場チーム数を現行の32から48に増やすことを発表した。大陸ごとの配分がどうなるかは未定。だが、サッカーレベルが着実に上がってきているアジア市場に大きな変化が訪れるだろう。かつて「日本のレベルアップのためにはアジアのレベルアップが不可欠」と語っていた人物がいる。FIFAの理事を9年務めた小倉純二だ。世界のサッカーにおけるアジアの立ち位置、日本の立ち位置を冷静に語れる人物の言葉を、2005年の原稿で振り返ろう。

 

<この原稿は2005年10月号『Voice』(PHP研究所)に掲載されたものです>

 

 北朝鮮の“瀬戸内際外交”はサッカーにおいては失敗に終わった。FIFAとの太いパイプを生かし、暴動を起こした北朝鮮に側面から圧力をかけたのが、これから紹介する小倉純二日本サッカー協会副会長(当時)である。

 

 FIFAが下した「第三国開催、無観客試合」の決定は、日本代表のドイツ行きをピッチの外からサポートする強力な“援護弾”となった。

 

 圧力の次は、巧みな対話だ。北朝鮮を“アジアの孤児”にしてしまっては、極東地域全体のレベルダウンを招きかねかい。これは日本代表の“国益”に反することになる。あらゆる外交チャンネルを通じて、北朝鮮の“暴発”を封じ込めた。

 

 立場的には川淵三郎キャプテン(当時)をサポートする協会ナンバー2。日本代表の躍進を支えるキーパーソンである。

 

「外交力」の勝利

 

―― まずは日本のドイツワールドカップアジア地区最終予選のB組1位通過、おめでとうございます。

小倉 ありがとうございます。

 

―― 小倉さんがFIFAの理事になったのは2002年8月。それまで日本はFIFA役員選挙に3連敗していましたが、小倉さんの就任によって、国際サッカーにおける情報の入手が格段に早くなった。日本が一定の発言力を確保できるようになったのは、大きなプラスです。

小倉 情報という点では、本当にそうですね。入る情報量が格段に違いますから。FIFAで種々な委員会が開かれると即座に議事録が送られてくるし、自分が理事会に行けばその場で発言できます。そこから「世界でこれから何が起きそうか」ということが見えてくる。

 

 日本人がFIFAの理事会に出席し、メンバーとして活動することで、初めて日本が国際サッカーで「名誉ある地位」を占めることができる。日本が国連の常任理事国になろうとする気持ち、よく分かります(笑)。

 

―― やはり、多少無理をしてでも入らないといけない。

小倉 いや本当に。多国間で物事を決める、まさにその場にいるわけですから。日本がそれに加わっているかいないかは大きな差です。理事会の席にいれば、自分たちの考えも即座にいえるわけです。メンバーでなければ間接的に、他のメンバーに伝えてもらうしかない。

 

―― 小倉さんの最大の功績は今年6月、日本が世界一早くワールドカップ出場を決めた北朝鮮との「第三国開催、無観客試合」です。小倉さんはブラッターFIFA会長に、北朝鮮が審判を非難し、暴動を煽ったと思われる『体育速報』の記事を渡しました。これが効果を発揮し、北朝鮮はホームで試合ができなくなり、日本と北朝鮮の実力差が如実に表れた。加えて実際にある暴動の危険から、日本チームを守ったわけです。その一方で8月の東アジア選手権では北朝鮮も同じ東アジアの仲間だということをアピールするなど、アメとムチを使い分けが見事です。

小倉 日本代表が強くなるには東アジアのメンバーとの結束が不可欠です。北朝鮮が孤立して閉じてしまったら、東アジア全体のレベルが下がるし、彼らに貢献してもらえれば、日本もヨーロッパの強豪に勝てるようになる。2002年の日韓ワールドカップで韓国がベスト4に入るまでは、北朝鮮が最も実績がある国だったわけですから。

 

―― 1966年のイングランド大会ではベスト8まで残っていますからね。

小倉 サッカーも好きで一生懸命取り組んでいる国ですから、早く正常な状態になってわれわれの仲間に入ってもらいたい。

 

―― 東アジア全体のレベルが上がることが、日本の国益に叶う、と。

小倉 なぜヨーロッパや南米が強いのかといえば、近隣所に強いチームがあり、切磋琢磨が簡単にできるからです。いま日本と韓国の多くのユースチームが相互に訪問して交流を行っていますが、これは両国のレベルアップに大きく貢献しています。

 

日本へのブーイングが消えた

 

―― 日本外交が小倉さんに比べて稚拙だと思うのは(笑)、「韓国けしからん、北朝鮮けしからん」という感情論と、逆に外務省のように「とにかく妥協すればよい」という両極端しかないことです。強く出る点は強く、協調するところは協調しなければいけない。

小倉 両面が必要でしょうね。政治状況で思い出すのは、今年8月の東アジア選手権です。韓国、北朝鮮、中国、日本の四カ国の男女の代表チームが一緒に戦う初めての大会だった。いまの政治状況からすると、この四カ国で日本は孤立している。

 

 私が心配していて杞憂に終わったことは、試合前に行う国歌斉唱で日本チームだけが大ブーイングを受ける、と。初戦の相手は北朝鮮で、当然、韓国のファンは北朝鮮を応援しますから、大変なことになると心配していました。

 

 ところが、韓国のファンはそれほどブーイングしないので、オヤッと思った。韓国と日本の試合でも、ブーイングはあまり起こりませんでした。

 

 私は、これが中国と韓国の違いだと思うんです。韓国は「反日」運動があるといいながら、サッカーに関わる情報が国民に流れている。国際大会において試合前の国歌斉唱は「儀式」であるという常識が、韓国の人には伝わっていたのではないでしょうか。ブーイングがゼロだったとはいわないけれど、去年のアジアカップでの中国に比べたら、問題にならないぐらい。韓国の「レッドデビル」といわれる応援団も冷静で、日本のファンと同じレベルですよ。

 

―― 私が1988年のソウルオリンピックの取材で韓国に行ったときは、日本チームへの大ブーイングがありました。韓国の場合、2002年日韓共催ワールドカップで成熟したのでしょう。韓国はとりあえずオリンピックもワールドカップも開催を経験したけれども、中国はまだ大きな大会を開いていない。

 

 あれ通過礼儀のようなもので、一度開催する側に回ると、あの手のブーイングがいかに恥ずかしい行為か、よく分かる(笑)。中国も北京オリンピックを一回やらせてみれば、変わると思うんです。

 

小倉 韓国については、間違いなく日韓共催の影響ですね。共催が決まったのちの1998年ワールドカップの予選のとき、ソウルで柳ジョージさんが『君が代』を歌ったんですよ。そこでまったくブーイングが起こらずに、拍手が起こった。韓国の応援席からは、「Let`s go to France together」という垂れ幕が出ました。それ以降、すっかり変わったんです。

 

―― あのときは拍子抜けしたぐらいでしたね。政治状況に左右されなくなった。

小倉 そう。今年8月に、元日本代表の井原正巳と元韓国代表のホン・ミョンボの二人が両国の親善大使になって、記者会見が韓国で開かれました。井原はきちんと韓国語で挨拶をして、両国を代表する選手が、両国の子供にサッカーを教えるなど交流に貢献してくれることになったのです。

 

 こういうことって、重要だと思いますよ。お互い昔に戻って従軍慰安婦の問題や歴史認識の問題ばかりいっていたら、道が開けない。

 

―― 小倉さんはFIFAの理事選挙でアジアの信任をくぐっているから、その過程で対日感情もまともに受けてこられたでしょうね。

小倉 FIFAの理事選挙で、ずっと日本に投票してくれない東南アジアの理事がいたんです。彼は親戚の人たちが太平洋戦争のときにみんな亡くなっているから、いくら私個人と仲よくなっても、「自分の目の黒いうちは、日本に一票を投じることはしたくない」という。たまたまその国は理事が代わって私に投票してくれたのですが、その人が務めているかぎりは、絶対に投票してくれなかった。彼ははっきりと過去の戦争を引きずっていて、それは感情としては仕方がない。

 

 しかし、日本の選手だけが競技場で野次を飛ばされ、「なぜ自分たちが」と思うような状況は、あってはならないことです。要はアジアカップのように、インターネットで意図的に騒ぎを仕掛ける人がいる。その一方で、もちろんそうでない普通の人がいます。

 

 日本のサッカー選手が万里の長城に行ったら、サイン攻めに合うことはあっても、非難されることはなかった。これからも一部の意図をもった人がたくさんいることを知りつつ、冷静に対応していくことです。

 

やはり語学は必要

 

―― その意味で、スポーツ選手は国際関係の突破口になれるとお考えですね。

小倉 そう思います。たとえば卓球の福原愛さんなんて、大したものです。

 

―― 彼女は中国語も上手ですね。

小倉 日本人が自分の国の中国語で喋ったら、一般の中国人は非難なんかしないですよ。

 

―― 相撲の朝青龍にしても、日本代表監督のジーコよりも遅く来日しているのに、日本語がうまい。思うに、ジーコはもう少し日本語を喋ってもいいのでは(笑)。あれは一種のプライドなんでしょうか。

小倉 まあ、それはあるでしょうね。ワールドカップ予選のホーム最終戦では、「今日こそ日本語で挨拶するだろう」と川淵さんも言っていたんだけど……。

 

――「どうもありがとうございました」だけだった(笑)。

小倉 一概にはいえませんが、たしかに言葉に関して関心や才能の高いサッカー選手はいて、よい例が中田英寿です。今年8月のイングランドへの移籍記者会見はすべて英語だったし、イタリア時代から自分で家庭教師をつけて勉強するなど、意識が全然違う。彼はサッカーだけでなく、生活を楽しもうと思っているから、余計にそうなんでしょう。その国の言葉が分からないと、美味しい物も注文できないし、よい服も買えないという発想ですから。自分の趣味があるから、それを生かすために外国語を話そうと思うんじゃないかな。

 

―― 韓国人のノ・ジュンユンはJリーグに来て一年で日本語をマスターしましたね。ジーコは通訳が全部肩代わりしてしまうのかもしれない。

小倉 かくいう私も、偉そうなことをいっていますが、FIFA理事としてはもっと喋れないといけない。FIFAの公用語は英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語の四カ国語です。

 

―― そのなかに、日本語を加えてもらうことはできませんか。

小倉 無理でしょうね。競技人口からすると、先に中国語が入ってしまう。サッカーの世界だと英語はどうしても必要で、アフリカの人とより深く付き合おうと思ったらフランス語がいる。南米の人であればスペイン語が必要です。

 

―― 言語は植民地の歴史がダイレクトに反映されますね。

小倉 私の後任を務めたい人は、最低、日本語以外に二カ国語が条件です(笑)。

 

―― 複数言語が喋れないと、駄目ですね。

小倉 そうしないと、会議で発言が遅れてしまうのです。スペイン語やフランス語で発言されると、通訳が訳し終わるまで、こちらは挙手できない。

 

 ところが、スペイン語やフランス語が分かる人は、話の途中でも言葉を遮って反対意見がいえる。日本人の弱さはそこにあって、いまは外国で育った若い人も多いですから、彼らに活躍してもらえばありがたいし、そうしないと本当の戦いはできません。

 

(後編に続く)


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