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 東北楽天にドラフト6位で入団した鶴田圭祐(帝京大学準硬式野球部)には、感謝してもし切れない人物がいる。それは中学時の野洲ブレーブスから帝京大学まで、約7年間共にプレーした1学年先輩の種谷涼だ。「先輩のおかげで今の道ができたといっても、過言ではありません」と鶴田が言うように、種谷の存在なくしては鶴田の野球人生を語れない。

 

 鶴田が野球を始めたきっかけは、ごくごく普通である。小学3年の時に、友達に誘われたからだ。生まれつき左利きの鶴田は生粋のサウスポー。幼少期は阪神で活躍していた同じサウスポーの井川慶に憧れた。

 

 鶴田の中学時代を知る種谷は、当時の印象を「コツコツと真面目にやるタイプでした。自分をアピールするとか、そういうタイプではなかったですね。(技術的には)ストレートがよくて、スピードは他の中学生よりも速かったです」と語る。

 

 そんな鶴田の素質をいち早く買ったのが、藤井学園寒川高監督の宮武学(当時)だ。きっかけは1学年上の先輩だった。宮武は「実は、先に寒川高に入学した種谷くんが、“1つ下にいいバッテリーがいる”と教えてくれたんです」と明かす。

 

 宮武は彼の第一印象を「まっすぐも良かったけど、スライダーが非常にいい子やなと思いました。“この子で甲子園に行ける”という印象を受けましたよ」と口にする。初めて見た鶴田のピッチングは前評判通りだったという。

 

 実はこの時、鶴田は四国のある強豪校からも声を掛けられていたが、選んだのは香川にある寒川高だった。宮武は「争奪戦の末、うちに来てくれた。種谷の影響力はあったと思います」と話す。

 

 しかし、この後、鶴田は甲子園を目指して渡った香川の地で、人生最大の苦境を味わうこととなる。

 

 投手失格の烙印

 

10 入学して間もなく、鶴田は外野手転向を余儀なくされる。鶴田が入学する1年前の夏に甲子園初出場を決めた寒川高には、全国から有数の選手が集まっていた。練習はこれまでとは比べものにならないほど、厳しいものだった。そんな環境に地元滋賀から越境入学した鶴田は順応できず、萎縮してしまった。

 

 鶴田は当時をこう振り返る。

「自分はメンタルが弱く、怒られると落ち込んでしまい、実力を出せないことがありました。それで負けているようでは駄目なんですけど、高校時代は本当に弱かったですね」。新たなポジションで再スタートを切った鶴田は、野手で甲子園を目指すことを誓った。

 

 野手としての評価は、上々だった。宮武監督は「足が非常に速く、バッティングセンスもありました。肩も強かったです。これだけの肩を持っている選手は珍しいというくらい、ライトからいい返球をしていましたよ」と彼の資質を評価する。

 

 転向して以降、鶴田は卒業するまで本来のポジションに戻ることはなかった。目標に掲げていた甲子園出場も叶わなかったが、鶴田は卒業しても野球を続けることしか考えていなかった。手当たり次第に大学野球部のセレクションを受けたものの、甲子園出場経験のない鶴田を受け入れてくれる学校は現れず、時間だけが過ぎていった。

 

 偶然の再会

 

%ef%bc%97 そんな時、鶴田に手を差し伸べたのが種谷だった。

 

 ある日、偶然、母校を訪れていた種谷は、進路相談で学校を訪れていた鶴田の父親に遭遇したという。その時、種谷は鶴田の父から「“実家から通いたい”と息子が言っているので、多分、大阪あたりの大学に決めると思う」と聞かされた。それゆえに種谷は、鶴田が大阪の大学へ進学するものとばかり思っていた。

 

 しかし、10月の終わり頃に突然、鶴田から連絡がきたことで事態は急変した。「鶴田から“帝京大学はどんな感じですか?”と連絡がきたので、こういう感じだよと伝えたんです。そうしたら、知らぬ間にとんとん拍子に話が進んで、気が付いたらこっちにいました(笑)」。種谷は笑いながらコメントした。帝京大学に進んだ鶴田は準硬式野球部に入ることとなった。

 

 もし、種谷に出会っていなかったら寒川高に進学することもなく、帝京大学で準硬式を始めることもなかった。はたまたプロの道には辿り着けなかったかもしれない。

 

 種谷の後を追って上京した鶴田は、準硬式野球という新境地で、再びピッチャーに返り咲くこととなる。

 

(最終回につづく)

 

%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%95<鶴田圭祐(つるた・けいすけ)プロフィール>

1994年5月12日、滋賀県出身。小学3年で野球を始め、中学時には野洲ブレーブスでプレーした。10年に香川の藤井学園寒川高に入学すると、1年秋に投手から外野手に転向する。2年秋の県大会で優勝し、四国大会に出場した。高校3年間で甲子園出場は果たせなかった。13年に帝京大に入学すると、準硬式球野球部に入部。チーム事情で投手に再転向した。3年春に149キロをマークし、一躍プロスカウトの注目を浴びる。10月のNPBドラフト会議で、東北楽天に6位で指名された。身長180センチ、体重88キロ。左投左打。

 

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(文・写真/安部晴奈)

 

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