日本相撲協会は25日、番付編成会議と臨時理事会を開き、初場所で初優勝を果たした稀勢の里(田子ノ浦)の横綱昇進を正式に決定した。これを受けて協会の使者が伝達式の会場となった都内ホテルを訪れ、昇進を伝達。稀勢の里は「謹んでお受けいたします。横綱の名に恥じぬよう精進致します」と口上を述べた。

 

 待望の日本人横綱の誕生だ。稀勢の里は30歳6カ月での横綱昇進。これは先代の師匠である隆の里(鳴戸親方)に次いでのスロー出世だ。新入幕から73場所目での横綱昇進は昭和以降、最も遅い記録である。日本人横綱は武蔵丸(1996年に日本国籍を取得)以来、18年ぶりとなる。

 

 茨城県出身の稀勢の里は中学卒業後、15歳で角界入り。厳しい稽古と知られる鳴戸部屋で鍛えられた。恵まれた体格を生かした力強い相撲を取り、17歳で十両、18歳で幕内へとトントン拍子で出世した。三役までは順調に番付を駆け上がっていたが、大関になるまでは苦労した。好成績を収めるもなかなか幕内で優勝できず、精神面の弱さを指摘されることもあった。

 

 7度目の綱取り場所でやっと手にした賜杯だった。初場所後、23日に行われた横綱審議委員会では“物言いなし”の全会一致で推挙された。稀勢の里の幕内優勝回数は1度だけだが、昨年は年間最多勝(69勝)を挙げた。ここ6場所で見れば74勝16敗と勝率は8割を超える。さらに15年間で休場は1日のみ。無事是名馬を地でいく力士である。

 

「自分のそのままを表現できればいい。特別な言葉はいらないと思います」

 前日に語っていた通り、口上はシンプルに「謹んでお受けいたします。横綱の名に恥じぬよう精進致します」と伝えた。その言葉は、師匠の田子ノ浦親方(元隆の鶴)が「素直さが最大の武器」と称える愚直な相撲道を貫く稀勢の里らしさに溢れていた。

 

 稀勢の里は目標とする横綱像を「横綱は常に人に見られている。稽古場はもちろん、普段の生き方も。もっともっと人間的に成長して、尊敬されるような横綱になっていきたい」と挙げる。大相撲の最高位。かかるプレッシャーはこれまで以上に大きい。72人目の横綱となり、稀勢の里は「横綱はもう負けられない。もっと強くなって負けない、常に優勝争いに加わる力士になりたい」と気を引き締める。

 

 “横綱・稀勢の里”としての土俵入りは「小さい時からの憧れ」という雲竜型に決まった。27日の明治神宮奉納土俵入りで初披露される。横綱として最初の場所となる春場所は3月12日、初日を迎える。

 

(文/杉浦泰介)