早過ぎる死を前にして言葉もない。悪性リンパ腫のため、37歳で世を去った元小結・時天空の間垣親方を最後に見舞ったのは昨年3月だ。場所は都内の大学病院。長い闘病生活で「時間を持て余している」と言って人懐こい笑みを浮かべた。病室の窓から三分咲きの桜が見えた。

 

 右背部に激痛を感じたのは一昨年の夏。少々の痛みなら慣れているが今回ばかりは我慢ができない。病院に駆け込むと「肋骨にヒビが入っている」と診断された。

 

 だが湿布を貼ってもマッサージを受けても、痛みは消えない。その後の検査で判明するのだが、「肋骨のヒビ」は「脊椎から肋骨基部にかけて骨融解をきたし、肺浸潤までしている極めて悪性度の高い」(腫瘍専門医)ものであり、悪性リンパ腫に端を発していた。

 

 昨年夏には「最後の望み」とばかりに末梢血幹細胞移植(PBSCT)を受けた。「これは自らの血液から取り出した幹細胞を培養・増生し、それを再び自らの体内に戻す」(同前)という高度な治療だが、難病を相手に勝ち名乗りを受けることはできなかった。

 

 多くのモンゴル人力士の中でも、彼が異色なのは最初から角界入りを目指して来日したわけではなかったことだ。モンゴル国立農業大学からスポーツ交流留学生として東京農大に転入した。卒業後は帰国し、教員になる予定だった。

 

 しかし、運命とはわからないものだ。学生相撲の応援で国技館に赴いたところ、横綱・朝青龍にバッタリ出くわした。横綱とはウランバートルの柔道クラブの仲間であり、すぐさま「メシでも食おう」となった。羽振りのいい後輩が留学生にはまぶしく感じられた。

 

 初土俵から14年、一心不乱に相撲と向き合ってきた。全休を続ける闘病中も復帰を諦めてはいなかった。実はちょうど1年前、私も外科手術を受けた。<お互い頑張りましょう>。メールの主は関取だった。自分の方が大変なのに…。不意に涙がこぼれた。

 

 この春には互いに好きな酒を持ち寄って花見を開く計画を立てていた。そのセレクトを始めた矢先の訃報だった。花見では先に酔い潰れた相手を、片方が背負って帰る約束になっていた。背負う相手も、背負われる相手もいなくなった。何ともこの世は不条理である。合掌。

 

<この原稿は17年2月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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