四国アイランドリーグPlusの情報をお届けする「野球西国巡り」。今回は徳島インディゴソックスの養父鐵(ようふ・てつ)新監督に話を聞いた。現役時代はNPB以外にもアメリカ、台湾など海外でも球歴を重ねた養父監督は、身をもって感じた"ハングリー精神"の大切さを徳島の選手たちにどう叩き込むのか。

 

待ちの姿勢では何も起きない

 2月はじめに合同自主トレが始まって2週間ほど、選手のことをずっと観察する毎日でした。まず投手を見て、その後に野手を見ましたが、まだ練習段階なので本当の姿は分かりません。この後、キャンプ、そしてオープン戦で見て選手個々の実力が分かってくるでしょう。新シーズンに向けての本格的なチーム作りはそこからスタートです。

 

 私はNPBでは福岡ダイエー、台湾では兄弟、その他にアメリカや中米のマイナーや独立リーグでプレーしました。指導者の経験はコーチだけなので、監督という大役にとてもプレッシャーを感じています。鈴木康友コーチ、駒井鉄平コーチとともにチームを強く、そして地元の方に楽しんでいただけるチームにしたいと思っています。シーズンが終わった後に「養父が来てよかった」と、みなさん言っていただければ最高ですね。

 

 さて今シーズンの戦い方ですが、まぁ作戦というのは場面場面で変わってくるものなので「こうする!」と明言はできません。基本的には常に積極性を前面に出したプレーを選手には徹底してほしいと思っています。
 多くの選手たちはNPB入りを目標にしています。ではそのためにどうすればいいのか。より上のレベルを目指すための心構えも選手に教えようと思っています。

 

 私が海外でプレーして分かったのは、日本と海外では監督と選手の関係性が異なることですね。日本では多くの選手が学生野球出身だから、とりあえず監督の指示を待ってから動こうとする。監督の方が上という考え方です。対して海外は監督やコーチ、そして選手たちは対等の立場です。そして選手は指示を待つのではなくて、「チームのために何をすべきか」を常に考えて行動しています。

 

 だからうちの選手には「待つよりも、動け」と言っています。それはプレーでもそうですが、コンディショニングなども含めて、目標に向けて今何をするべきなのかを自分で考えて動いてほしいということです。指示を待っているだけでは、上に行くことはできませんから。

 

海外経験を徳島に還元

 徳島インディゴソックスには過去12シーズンの歴史があります。NPBに何人も選手を送り出した実績や、先輩監督たちが築いてきた徳島らしさをふまえつつ、チームをより良くしていけたらいいと考えてます。

 

 具体的には今年から本格的にウエイトトレーニングを取り入れることにしました。近年は野球界でもウエイトトレーニングの重要性が認識されていますが、アマチュア野球ではまだまだ浸透していません。新人や若手選手の多くが「ウエイトは未経験」と言います。トレーナーと一緒になって選手の体を作っていきたいですね。

 

 あと食事面でも指導を強化しています。独立リーグということで多くの選手はアルバイトをしながら野球を続けています。金銭的にはカツカツの状態でしょうが「食べ物は体につくものだからよく考えろよ」と言っています。1人だと簡単に1品で済ますことになるので、例えば3、4人で集まって鍋料理を囲めば安価にバランスの良い食事がとれる。そういう細かな面でも選手の意識を変えていきたいですね。

 

 台湾、NPB、アメリカと渡り歩き、その後は野球スクールの代表を務めてきた私の野球人生ですが、まさか監督という話がいただけるとは思っていませんでした。歴代監督の方と名前が並ぶのも恐縮してしまいますが、自分には先輩たちにはなかった「海外での経験」というアドバンテージがあります。

 海外の人脈や海外のチームで学んだマネジメント、ファンサービスなどを徳島に還元したいと思っています。

 

 1年目のシーズンは「挑戦」ということで、何事にもぶつかっていきたいですね。初年度ということで臆することもありますが、そういうときには「どんな名監督にも1年目はあったんだ」と言い聞かせて頑張っていきます。
 徳島インディゴソックスの応援をよろしくお願いいたします。

 

<養父鐵(ようふ・てつ)プロフィール>:徳島インディゴソックス監督
 1973年6月26日、神奈川県出身。逗子リトルリーグで7歳から野球を始める。高校は帝京第三高(山梨)に進学し、山梨選抜チームとして渡米。アメリカでは大学生を相手に7イニング14奪三振を記録した。その後、亜細亜大、日産自動車に進み、01年に台湾・兄弟エレファンツ(現・中信兄弟)と契約。月間MVP3回、台湾シリーズMVP獲得と活躍し、02年にドラフト6位で福岡ダイエーホークスに入団した。一軍登板はなく03年に渡米し、シカゴ・ホワイトソックス3Aと契約。その後はベネズエラ、メキシコ、アメリカの独立リーグでプレーし、06年台湾・兄弟に復帰。07年の現役引退後、10年に野球スクール「ルーツベースボールアカデミー」(神奈川県藤沢市)を開業。15年、台湾・中信兄弟の投手コーチ、2軍ヘッドコーチを務める。16年12月、徳島インディゴソックスの監督に就任した。


◎バックナンバーはこちらから