スペイン2部のテネリフェに移籍した柴崎岳が「体調不良」に見舞われている。胃の不調で体重が6kg落ちたなどと真偽のほどが分からない現地情報もあるなかで、クラブは公式サイトで「不安障害の可能性」を指摘している。7日から練習を休んでおり、9日に復帰したが、翌日から再び練習を欠席した。現時点でデビュー戦の見通しは立っていない。

 

  海外志向の強い柴崎にとってスペインリーグは、特に希望していた地と聞く。1部ラスパルマスへの移籍は叶わなかったものの、昇格プレーオフ圏内につけるテネリフェの移籍は本人にとってベストではなくとも、ベターに近かったはずだ。スポーツ紙の番記者に聞いたところ、2年前からスペイン語と英語を少しずつ学んでいたようだ。つまり海外移籍に向けた準備を彼なりにやってきたことがうかがえる。

 

  スペイン発では「コミュニケーションが図れていない」という種の報道もあった。ただ、筆者の印象では柴崎自身、口数の多いタイプではないし、誤解されている部分も少なくないと感じる。もちろんカナリア諸島にあるテネリフェ島での生活や環境の変化にまだ対応できていないというのはあると思う。

 

 しかしながら「日本に帰国したがっている」という情報は、間違いだと信じる。長年待ってきた海外移籍、それも希望したスペインリーグの入り口に辿りついたというのに、それをいともあっさり放棄するとはとても考えにくいからだ。まずは「不安障害」を取り除くことが重要である。そして練習に合流して1日も早くピッチに立ってもらいたいものである。

 

 郷に入りては郷に従え、という言葉がある。

 早くも逆風にさらされている柴崎が、異国の地で成功を収めるには多少なりとも考え方を変えていく必要があるのかもしれない。日本人フットボーラーにとってスペインは“鬼門”の地であり、首を長くして活躍を待ってくれるわけでもない。契約期間はわずかに半年。すぐに結果を出すための最善策を、自ら探り当てていくことが求められる。

 

 競技は違うが、日本ハンドボール界の第一人者である宮﨑大輔(大崎オーソル)の話を思い出した。彼は北京五輪出場の目標を叶えられず、自身のレベルアップを目的に2009年、スペイン1部チームのテストに合格して入団した。ハンドボール後進国の日本人選手に対し、チームメイトの反応は冷やかだった。彼は言った。

「ハンドボールで日本は弱小国。だからチームメイトは日本のハンドボールなんて知らなかったし、練習をしても、パスが回ってこないんです。一番ボールが回ってくるはずの真ん中にいるのに飛ばされてしまう。僕からしたらあり得ない。あだ名も“クレヨンしんちゃん”とか“たまごっち”とか付けられて、最初の1カ月間は孤独との戦いでもありましたね」

 

 スペイン挑戦が失敗だったなどと思われたくない。

 苦悩のなかでたどり着いた結論は、受け入れてもらえないなら、受け入れてもらうしかないということ。チームメイトが自分を理解するよりも、まずは自分がチームメイトを理解しようとした。

 

「僕は日本の選手を代表してここに来ているんだ、ということ。後に続こうとする人たちのことを考えたらこのままじゃ日本に帰れません。だから恥ずかしいとか、納得いかないとか、そういう感情は全部捨てました。言葉は喋れなくてもジェスチャーがあると考えて、伝えたいことはその場で伝えるようにしました。チームメイトを一人ひとりランチに誘ったり、バーに誘われてないのに勝手についていったり……。少しずつみんなとコミュニケーションを取っていくことで、段々と状況が変わっていったんです」

 

 ジェスチャーだってコミュニケーション。自らの気持ちを表現することで、周りの見る目も変わった。次第にパスが回ってくるようになり、シーズン100得点以上の活躍を見せたのである。

 負の状況は、誰かが変えてくれるわけではない。自分しか変えられないと、宮﨑の経験が教えてくれる。もちろん柴崎自身も分かっていることだとは思う。

 

 レアル・マドリードから2点を奪った男。その実績は、大きな武器だ。しかし、それはあくまで信頼を勝ち取るための第一歩に過ぎない。

「不安障害」を乗り越えれば、環境には次第に慣れてくるはず。そしてチームの中心となっていくためには、周りに理解してもらうではなく、自分から周りを理解していくという作業が大切になってくるのかもしれない。テネリフェのサッカーに自分がどう合わせ、そこからどうやって自らの考えに周りを引き込んでいけるのか。

 

 苦しみは成長の糧となる。逆境をはね返す力が、柴崎に成長のサイクルを呼び込むと信じている。


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