170223bluetug「Sportful Talks」は、ブルータグ株式会社と株式会社スポーツコミュニケーションズとの共同企画です。様々な業界からゲストを招き、ブルータグの今矢賢一代表取締役社長との語らいを通して、スポーツの新しい可能性、未来を展望します。

 今回、登場するのは、島田亨さん。プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの球団社長、オーナーとして活躍しました。2004年プロ野球再編問題で誕生した新球団を参入1年目で黒字経営に導いた手腕は高く評価されています。プロ野球球団経営は儲からない。そんな常識を覆した島田さんが語るスポーツビジネスの現実と未来とは――。

 

 計画通りの黒字と日本一

 

170223bluetug2二宮清純: 島田さんは東北楽天の球団経営に関わってきました。私も長いことプロ野球を取材してきましたが、一番驚いたのは1年目に黒字を出したことです。“プロ野球は赤字が当たり前”という刷り込みがあったので、野球関係者にとても衝撃だったのではないでしょうか。これは最初から自信がありましたか?

島田亨: 実はですね。初年度の黒字はなるべくしてなったんです。

 

今矢賢一: それはなぜでしょう?

島田: 野球は1シーズン通して見た時に売り上げが立つ期間と、コストだけが出る期間があります。僕らが参入した時は秋季キャンプも終了していて、コストがかかる時期は過ぎていました。つまり1年間でかかるべきコストの3分1はかからない状態でスタートできたんです。だから逆に言えば、黒字になって当然なんですね。

 

今矢: なるほど。ファンクラブにカテゴリーをつくられるなど初年度からいろいろな工夫をされていましたね。

島田: そうですね。売り上げをある程度出せば、黒字になるのは分かっていました。その時はどこの球団も広告宣伝費の一環として、極端に言えば“黒字になる必要はない”という意識でやっていたところがありました。結果的にはそれで近鉄の赤字を親会社が補填できなくなり、球団がなくなってしまった。だから「プロ野球経営でも黒字が出る」とのメッセージを打ち出そうと考えていました。

 

二宮: 島田さん的には“確信犯”だったんですね。

島田: ええ。「プロ野球を経営しよう」というマインドセットをもっていったことによって、初年度に出した中長期事業計画の中で、フルシーズンを通しての黒字化は10年後までに果たすと考えていたんです。同時に日本一になるとも言っていました。初年度に勢いをつけたことで、スポンサーも集まっていただき、好循環になった。結果的には9年目の13年には黒字を達成することができて、有り難いことに日本一にもなれました。

 

二宮: まさに計画通りですね。黒字化の要因のひとつには球場経営が挙げられます。

島田: ホームスタジアムは宮城県営球場です。宮城県との契約で改修に関する費用は球団が出す代わりに球場使用料を減免するという取り引きを結びました。

 

二宮: 物販やチケット収入の何割かは譲渡するかたちですか?

島田: いえ。それは全額入ります。唯一、県とシェアしたのは球場の命名権ですね。

 

 ビールの売り子に注目

 

170223bluetug4二宮: 球場ビジネスに関しては、ビールの売り子の動きまで、注目されたと伺いました。

島田: はい。売れている子はデータで出ていますから、「なぜ売れているのか」を現場に聞いたりしました。あとはそのノウハウを横展開すればいいので、難しい話ではないんです。

 

二宮: “真実は細部に宿る”と言いますが、それまでの球団経営は大雑把な部分もありましたよね。

島田: 役割分担のような感覚なんですね。シーズンが始まるまではいろいろな準備が必要です。それは経営戦略そのもの。いざシーズンが始まるとチームに関われる部分は少ない。オンシーズンは動いている興行をちゃんと見て、どう改善していくかなんです。

 

今矢: 運営側の人材育成でユニークなことはされましたか?

島田: 新興球団でしたし、ゼロからつくったこともあったので野球チームのコアな部分は経験者に任せました。例えば用具担当などはいきなり素人には難しい。

 

二宮: 確かにそうですね。

島田: 一方で広報はスポーツ紙とガッチリやってきた人より、企業戦略広報をやってきた人の方がいいと思ったんです。広報はチーム側に歩み寄りがちなんですが、必ず興行側から送り込んで、できるだけオープンにしていくことを心がけました。

 

 地域との連携

 

170223bluetug6二宮: 「東北楽天ゴールデンイーグルス」というチーム名は地域密着であり、法人としてのメリットを考えた場合の非常にいい落としどころのような気がします。

島田: サッカーのJリーグが法人の名前を付けなかったこともあり、僕らも地元の方々から「楽天を付けるべきではない」との声は結構ありました。そこは受益者負担の反対の考え、“負担者受益”です。オーナー会社が一番リスクを持ってやっていますから、せめて名前は売りたかった。

 

二宮: “負担者受益”とはいい言葉ですね。資金を出している以上はリターンも欲しい。それは当然のことです。

島田: そうでなければ、なかなかお金は出せないと思います。

 

二宮: あとは「仙台」ではなく「東北」と名乗りましたよね。そこには何か理由があったのでしょうか?

島田: まず東北の地にプロ野球団が千葉ロッテのセミフランチャイズとしてしか過去にはなかった。だから、ある日本の一角のムーブメントとして球団をつくろうという意図がありしました。

 

二宮: 地域との連携という意味では、少年野球教室や学校訪問を行うこともひとつです。地域といい関係を結ぶために役立ったんじゃないですか。

島田: はい。野球が商売ですから、野球以外のことでやるよりも野球に繋がることで地域と関わっていくことが大事だと思います。

 

今矢: 確かにそうですね。

島田: そういう意味で言うと、野球教室は2つに分けられます。1つは長期的なファンづくり。例えばメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースは“何個子供にキャップを被せることができるか”を考えています。確かにロゴマークが入ったキャップをもらって、被っているとファンになるんですよね。野球教室はそういうアプローチのひとつでもあります。

 

二宮: 長期的な戦略で言えば、早い時期に東北楽天ファンにさせるということですね。

島田: はい。あとはJリーグで言うところの下部組織のような選手を育成していく仕組みが野球にはなかった。それを見据えながら、本格的な野球チームをつくって地元の子供たちを、地元のチームが指導する。そのチームが全国大会で勝つと、地元の人たちもうれしい。それがイーグルスを応援することにつながると思っています。

 

 “球団努力”ではなく“球界努力”

 

170223bluetug5二宮: 04年秋に楽天が球団参入に手を挙げた時には、今矢さんはどう思われましたか?

今矢: 新しい産業のプレイヤーが参画することはすごくいいことだなと感じました。初年度黒字化というセンセーショナルなメッセージは、自分たちの球団のためではなくリーグ全体、あるいは野球全体に対してのビジョンがあってこそだと。

 

二宮: それまでの野球界は球団それぞれが努力をする“球団努力”はしていても“球界努力”はしていなかった。

島田: 最大の商品は選手でも、チームでも、チケットでも、グッズでもなくゲームなんです。ゲームを構成するのは1チームではできないわけですから。もっと言えばリーグがどうゲームをつくるか。我々が参入してから“プロ野球もビジネスとしてみましょう”と発信し続けました。それでメジャーリーグに倣って事業するための会社をつくればいいと考え、パ・リーグ球団社長で集まって話し合い、07年に「パシフィックリーグマーケティング株式会社」を設立しました。

 

二宮: 楽天は06年に野村克也さん、11年には星野仙一さんを監督に呼ぶなど、常に注目を集めていた印象があります。

島田: 強豪チームではなかったですし、初年度以降は黒字も出せていませんでした。それを考えると話題をつくっていかないとプロ野球全体が地盤沈下していってしまう。そこは意図的に仕掛けていたところもありますね。

 

二宮: 個性の強いお2人ですから、良好な関係を保つのはなかなか大変だったんじゃないですか?

島田: 監督には華があって、長期的にモノを考えてくれる方がいいので、野村さんや星野さんは条件に合うんですよね。あとは球団のポリシーにマッチするかどうかですから。

 

二宮: 球団経営に関わってきて、改善すべきと感じた点は?

島田: 機構だと思います。リーグが機能しないとスポーツは死んでしまう。プロ野球で言えばNPB。プロ化してない競技でも連盟や協会が引っ張っていかなければいけないと思います。どうしても長い歴史の中で既得権益が発生してしまって、興行の仕方や運営方法が変わらないままのところもあります。

 

今矢: 僕らも日本でまだまだメジャーじゃないスポーツ選手のサポートに関わる際に、連盟の方とお話をしたり、大会に行ってみると肌で感じる時があります。

島田: もう少しビジネスセンスを持つことで、スポーツ自体をフルーツフル(実りの多い)ものにできればいいですね。

 

170223bluetugPF島田亨(しまだ・とおる)プロフィール>

1965年生まれ。87年に東海大学卒業後、株式会社リクルートに入社。営業職で活躍した。89年には株式会社インテリジェンスを創業。2000年には株式会社シーズホールディングスの代表取締役を務めるなど、複数の企業で経営に参加した。04年10月には楽天野球団に迎えられ、副社長を経て、代表取締役社長に就任。08年には三木谷浩史氏よりオーナー職を引き継ぎ、球団社長と兼任した。

 

(構成・鼎談写真/杉浦泰介)


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