5戦目にして初黒星、オランダに2対12で大敗したものの、WBC極東ラウンドの前半戦を盛り上げたのは初出場ながら2次ラウンドに進出したイスラエルである。

 

 ユダヤ民族のシンボルであるダビデの星をかたどったと思われるヘキサグラムの帽章がやけに新鮮に映る。そのイスラエルと日本は15日に対戦する。

 

 日本に縁のあるユダヤ系の野球選手といえば、次の2人の名前が思い浮かぶ。ひとりは今から83年前の1934年11月に「米国大野球団」の一員として日本にやってきたモー・バーグだ。

 

 静岡・草薙球場で行われた日本との第9戦では全日本のエース沢村栄治がベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらのいる強力打線をゲーリッグのホームランによる1点に封じ、監督のコニー・マックをして「サワムラをアメリカに連れて帰りたい」と言わしめた。

 

 日本遠征でバーグはしばしばチームを離れることがあった。コロンビア大学法科大学院を修了した彼は、他の選手とは別行動で日本の風景を写真に収め、情報を集めていた。そして日米開戦。米軍の空襲はバーグが撮った写真をもとに計画されたと言われている。

 

 もうひとりは、1975年の広島初優勝に貢献したリッチー・シェインブラム(通称シェーン)だ。監督に就任したジョー・ルーツの要請でカージナルスから入団した。MLBでは数球団を渡り歩いた典型的なジャーニーマン。通算13本塁打と成績もパッとしない。

 

 だが、日本では勝負強さが光った。主に山本浩二、衣笠祥雄の後の6番を打ち、両打ちのクラッチヒッターとして活躍した。当時の監督・古葉竹識の回想。「投手が右でも左でも代える必要のないスイッチヒッターはチームにとってプラス。後に高橋慶彦、山崎隆造、正田耕三と私がスイッチをつくるようになったのは実はシェーンがきっかけなんです」

 

 古葉が頭を抱えたのが優勝争い真っただ中の9月14日だ。「古葉監督が説得したようですが、出場はかないませんでした」。中国放送(ラジオ)のアナウンサーの悲痛な声が、まだ私の耳の奥には残っている。その時初めて「ヨム・キプル」という言葉を知った。いわゆる安息日でユダヤ教徒は一切、仕事をしてはならないというのだ。「シェーン、カムバック!」。カープファンの誰もが口々にそう叫んだのは、言うまでもない。

 

<この原稿は17年3月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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