いやあ、勉強になるというか、考えさせられることの多い毎日である。

 

 たとえば稲田防衛相の答弁について。

 

 小学生のころ、「記憶にございません」というフレーズが大流行した記憶があるが、今回のはさらに印象的というか破滅的というか。

 

 私の記憶が間違っていた――。

 

 つまり、悪いのは「私」ではなく「私の記憶」。これが通るのであれば、どんな嘘だってまかり通る。

 

 仮に「私」がとんでもない誤報なりフェイクニュースを発信してしまったとしても、記憶のせいにしてしまえばいい。世間からは袋叩きを食らうかもしれないが、心配することはない、首相をはじめとする自民党の方々が擁護してくださる。教育勅語へのシンパシーでもチラつかせておけば万全だ。

 

 ミスを犯したのは自分の記憶だから、その主体である「私」に落ち度はない――という考え方は素晴らしく独創的で絶句するしかないが、逆に、最近のJリーグでは独創性の欠如にうんざりさせられることが多い。

 

「すべては私の責任です」

 

 もはやこのセリフ、Jリーグ日本人監督たちの「お約束」と言ってもいい。連敗などで苦境に立たされた監督は、例外なくこの言葉を口にする。一見潔いというか、責任を一手に引き受けているように思えるのだが、なぜかこちらの心に響いてこない。本心から出た言葉というよりは、マニュアルにそう書いてあるからですか? と突っ込みたくなるような感じなのだ。

 

 監督は責任をとるのが仕事。ただ、連敗の責任がすべて監督にあるわけでもない。言い訳が嫌われる日本では仕方がない部分があるのかもしれないが、あまりにも画一的かつ思考停止なコメントは、監督という仕事をずいぶんと退屈なものに見せてしまってはいないか。凄まじく独創的な言い訳で話題を独占する大臣は笑えるが、言葉に「借り物感」が強すぎる監督も辛い。

 

 話題独占と言えば熱戦続くWBC。テレビの視聴率も絶好調のようで……ちょっと心配になってくる。

 

 日本サッカー界のもっとも歪なところは、「代表チームがこの国でもっとも人気のあるチームである」という点だと私は思っている。代表の試合は地上波で放送され、各メディアがこぞって取り上げる一方で、Jリーグの扱いはガクンと落ちる。リーグは根であり土。ここを疎かにする国に、美しい花など咲くはずがない。

 

 これが昭和の時代であれば、野球日本代表の試合があったとしても、巨人戦より大きく扱われることはまずなかっただろう。大切なのはあくまで巨人。代表は余禄。そんな、欧州のサッカーファンにも似たとらえ方が一般的だったから。

 

 腐すつもりは毛頭ない。ただ、巨人戦の地上波での放送が減る一方で、WBCの日本戦が全戦フル中継というのは、少々心配にもなってきてしまうのだ。ただ、それが「少々」で済んでいるのは、あくまでも1面は阪神でなければと考える某スポーツ紙とファンの存在があるから、でもある。

 

<この原稿は17年3月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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