1703miyahara8「現役をもっとできたなとは今でも思う。“3カ月ぐらいあればやるよ”というぐらいの気持ちは持っています」

 宮原裕司は引退してから7年の歳月が経つが現役時代と比べても体重に変化はないという。アビスパ福岡U-18、U-15のコーチを務め、U-15の監督に就任してからも変わらない。だが、それは現役に対する未練ではなく、彼にとってのプライドと言ってもいいのかもしれない。

 

「一緒に選手とバトルして、プロでやっていた自分を肌で感じてもらいたい」

 指導者としての経験が少ない宮原にとって、それが選手にしてあげられる最良のコーチングであり、ティーチングだったのだ。

 

 恩師に続くS級ライセンス取得

 

 昨年12月には日本サッカー協会(JFA)が公認S級コーチライセンスを取得した。そのために5月から12月まで短期、中期に分けて14回集められて講習会を受けた。講習会には書類審査、指導実践、個人面談を経て絞られた20名のみが参加できる。宮原も「いろいろなものを盗んでやろうと思っていました」と臨んだ。

 

 宮原の同期には日本代表としてワールドカップに出場した宮本恒靖、福西崇史ら錚々たるメンバーがいた。

「みんな気が利きますね。いろいろなところを見ていますし、自分なりに考えて行動を起こしている。人が困っていたら助けて、偉そうにしている人はいなかった」

 実績のある他の受講者からも刺激を大いに受けた。

 

 現役時代のポジションによって指導者のキャラクターにも個性があった。FWであればエゴイスティックな部分もあれば、DFであれば常にリスクに備えている。宮原はどちらと言えば、感覚派のMFタイプ。「勝負すべき時、しなくていいところ。僕は考えているつもりでしたが、もっと考えないといけないと気付かされました。感覚は最後。可能性や試合の流れまで考えて決断する力は足りなかったかなと」。講習会で周囲を見て、気付き、学んだことは多かったという。

 

 全カリキュラムを修了すると筆記試験、指導実践、口頭試験、レポートをJFAの技術委員会が総合的に審査し、認定者が決まる。中でも最後の指導実践は、受講者がくじを引き、出たテーマで大学生を相手に実戦形式で指導する一発勝負だ。「僕は『FWを使った攻撃』だったのでイメージしやすいし、自分の色も出しやすかった」。宮原は最後に運をも引き寄せたのだった。

 

1703miyahara4 個人面談では3人のインストラクターからは“役割”を評価された。「一番年下だったので、僕の役割は年上の人たちを盛り上げることだと思った。サッカーを楽しくやりたかったし、全力を出してほしかった。年下の僕がイジッてみたり、いい雰囲気を作れるようにとは考えていました」。宮原は受講者に1人だけいた外国人にも積極的にコミュニケーションを図るなど、ムードメーカーの役割を果たした。こうした“気配り”の部分も評価されたのだろう。見事、S級ライセンスを認定された。これにより宮原はJリーグのクラブ及び、日本代表の監督を務めることができる権利を有したのだった。

 

 彼のS級ライセンス取得を聞いて、頬を緩めた指導者がいた。宮原の東福岡高校時代の恩師・志波芳則(現総監督)だ。

「指導力を高めたいという彼のポジティブな気持ちから発したものだと思います。彼はプロでやっているわけですから、肩書が1ランク上がることは必要なこと。高校からプロに行く選手たちを輩出してくわけですから、要するにプロがどういうものかを我々、指導者が知っておかないと」

 自身もS級ライセンスを取得している志波は、東福岡から多くのプロを輩出した名伯楽である。宮原もその1人。宮原にとって「プロを意識させてくれた」という恩師は、「宮原は指導者に向いている」と口にしていた。

 

 いつかの天才との“約束”

 

 指導者はプレーヤーで言えば司令塔に似ている。ゴールに向かう味方へのパス。それはラストパスかもしれないし、起点となるパスの時もある。ボールに触れなくても、自らが動くことによってスペースやチャンスを生み出すこともできる。指導では言葉で伝えるものもあれば、無言のパスを送る場合もあるだろう。それに選手が気付けるか、感じられるかが大事になってくる。

 

 宮原の指導法はこうだ。

「サッカーで怒ることはあまりないですね。私生活やボールの管理などで注意します。なぜ怒るかというと、当然、人間なのでミスもします。それを感じる、気付く力を持ってほしい。サッカーはチーム競技です。ピンチなった時に誰も気付かない、動かないではいけません。その気付く、考えて、行動を起こすというサイクルをサッカー以外の方がつけやすい」

 

 自らの指導によって選手の成長を感じられた時がやり甲斐だと言う指導者は多い。だが宮原の感覚は少し違う。「元々持っているものをつつくというか、刺激をすると思っています」。とはいえ、選手が成長する姿やスランプから抜け出す姿を見てうれしくないはずがない。事実、「選手が見せる悔しい後の喜びの顔を見るのが僕は楽しいです」と宮原は語る。

 

 宮原はアカデミーのコーチを歴任し、U-15の監督を務めて2年目、指導者としては8年目になる。「アビスパで監督をしたい。アカデミーから上がってきた選手を試合に出したい」との思いは色褪せていない。そのためには、当然、経験も実績も積み上げていかなければいけない。

 

「負けないチームをつくりたい」と宮原は言う。

「基本負けたくない。育成だからと言ってくれる人もいますが、勝ち負けがある分、負けは必ずくるとは思います。でも負けていいとは思えない。僕も選手とボール回しをしていても絶対に負けたくないです」

 

 負けず嫌いの監督が選手に求めるのは、いたってシンプルだ。「一番にゴールを決められる選択を持つこと」。宮原は自らの経験からもシンプルが一番だと考える。それはサッカー然り、指導も然りだ。将来、トップチームを率いた時に目指す監督像もシンプルだった。「お金も生めて、選手を呼べる監督になりたい」。魅力的なサッカーをしつつ、勝ち続けるチームにはサポーターも選手も、そしてスポンサーも自然と集まってくる。それがクラブの理想形とも言えるだろう。

 

 取材後、宮原は「代表監督になったら、また取材してください」と言って笑った。本人にとっては冗談かもしれないが、その言葉を信じようと思う。18年前に見た国立競技場で輝いていた背番号10が、再び栄光のピッチに戻ってくる。その道程を描きたいとも。“いつかの天才”の物語は、これからもつづく――。

 

(おわり)

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1703miyaharaPF3宮原裕司(みやはら・ゆうじ)プロフィール

1980年7月19日、福岡県生まれ。4歳でサッカーを始める。二島中学では3年時に全国中学校体育大会準優勝を経験した。東福岡高に入学し、2年時には主力としてインターハイ、全日本ユース選手権、全国高校選手権の3冠達成に貢献。3年時にも高校選手権連覇に導いた。99年、名古屋グランパスエイトに加入。アビスパ福岡、サガン鳥栖、セレッソ大阪、愛媛FCとJ1・J2のクラブを渡り歩いた。10年に現役を引退。古巣・福岡下部組織のコーチを歴任し、16年からはU-15監督を務める。同年にJFA公認S級ライセンスを取得した。身長180cm。J1通算14試合0得点、J2通算175試合6得点。

 

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(文・写真/杉浦泰介)

 

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