24日、Jリーグ ディヴィジョン1の第33節が行われ、サンフレッチェ広島がセレッソ大阪を4−1で下し、リーグ初優勝を果たした。2位のベガルタ仙台が敗れたため、最終節を待たずに優勝が決まった。この結果、広島は12月6日に開幕するクラブW杯に開催国枠で出場する。

 佐藤、ダメ押しPK弾で貢献(広島ビ)
サンフレッチェ広島 4−1 セレッソ大阪
【得点】
[広島] 高萩洋次郎(17分)、青山敏弘(20分)、佐藤寿人(42分)、石川大徳(50分)
[C大阪] 枝村匠馬(61分)
 20年目でついに栄光を掴みとった。広島は1993年のJリーグ開幕から参戦する“オリジナル10”のひとつ。2ステージ制だった94年シーズンでは第1ステージを制したが、年間王者には届かなかった。その後、2度のJ2降格を経て、頂点へたどり着いた。

 前節、浦和レッズに0―2で完敗。2位・仙台との勝ち点差が1に縮まり、予断を許さない状況に陥った。今節で優勝するにはC大阪に勝利し、仙台が敗れることが条件となった。そんなホーム最終戦で大量4ゴール。試合を通して相手を圧倒した。

 最初にスタジアムを沸かしたのはMF高萩洋次郎。前半17分、PA手前で自身のスルーパスが相手に当たってこぼれてきたボールを左足で打ち抜く。矢のようなシュートがゴール右下に突き刺さった。
 先制の余韻が残る20分には、早くも追加点が生まれた。FW佐藤寿人が高萩からのロングフィードを受け、左サイドを上がってきたMF清水航平にパス。そしてPA内右サイドに走り込んだ右MF石川大徳が清水からのクロスを頭で中央に折り返し、最後はMF青山敏弘が右足で押し込んだ。ピッチを大きく使い、さらに5人の連動した展開にC大阪守備陣は為す術がなかった。

 チームメイトの活躍にエースも黙っていない。42分、佐藤がPKを豪快にゴール右上へ蹴り込んだ。ここまで全試合に先発出場し、積み重ねたゴール数は得点ランキングトップの21点。今季22得点目は、優勝に大きく近づくダメ押し弾となった。ゴール後は左胸のチームエンブレムに口づけし、コーナースポットに滑り込んだ。
 また、このPKを与えた場面でC大阪のMF山口螢が清水を倒して一発退場となり、広島は数的優位にも立って、試合を折り返した。

 前半が終了した時点で仙台がアルビレックス新潟に0−1でリードされていたため、このままの結果になれば広島の優勝が決まる。しかし、森保一監督は「積極的な姿勢で後半もやっていこう」と選手たちをピッチに送り出した。

 すると後半5分、広島イレブンが指揮官の指示に応えて4点目を奪う。石川が高萩のスルーパスから右サイドを抜け出してPA内に侵入。右足のシュートがGKの手を弾いてゴールネットを揺らした。石川にとっては嬉しいプロ初ゴールとなった。10分には、佐藤が青山からのパスに反応し、PA内左サイドからシュート。これはGKに防がれたが、チーム全体が攻撃サッカーを貫く意図がうかがえた。
 16分にMF枝村匠馬に1点を返されたものの、その後はボールを支配してチャンスを与えない。リーグで2番目に失点が少ない堅守も健在だった。

 そして迎えた試合終了のホイッスル。直後に仙台の敗戦がスタジアムで発表され、広島ビッグアーチが揺れた。森保監督がベンチ前で両手を突き上げ、スタッフと抱き合う。キャプテン・佐藤は、両手で顔を覆ってピッチにしゃがみ込み、肩を震わした。

 森保監督が「サンフレッチェに関わってくれたすべての人たちの思いを爆発させました!」と歓喜の瞬間を振り返れば、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた青山も「日本一だよ!」と雄叫びをあげた。そして、佐藤は時折、声を詰まらせながら、サポーターにこう語った。
「苦しかったシーズンも多かった。いつも皆さんに喜んでもらえる試合はできなかったが、ずっと応援してくれる皆さんのおかげで優勝を成し遂げることができた。すべての人たちに感謝の思いしかない」
 広島には05年に仙台から移籍。07年にJ2降格した後も、チームに残留した。今季の広島は佐藤が得点した17試合の成績が13勝1敗3分け。佐藤のゴールがチームを優勝に導いたといっても過言ではないだろう。

 だが、広島の戦いはこれで終わりではない。12月1日のリーグ終了後にはクラブW杯が開幕(同6日〜)し、初戦でオークランド・シティFC(オセアニア代表)と対戦する。佐藤は「クラブW杯でサンフレッチェ旋風を巻き起こせるように一緒に戦いましょう」と改めてサポーターに応援を求めた。チームスローガンの“団結”した戦いで、広島がさらなる高みを目指す。