ハリルジャパンはUAE、タイに連勝してロシアW杯アジア最終予選グループBで首位に立った。キャプテンの長谷部誠が離脱し、2年ぶりに代表復帰したベテランの今野泰幸がUAE戦で活躍。タイ戦ではサイドバックが本職の酒井高徳がボランチに回るなど、何かと中盤の選手に注目が集まった。

 

 今回のメンバー選考で意外だったのは、昨年11月のサウジアラビア戦でも招集されたヘーレンフェーンの小林祐希が呼ばれなかったことだ。

 

 オランダではインサイドハーフ、アンカーとして新境地を開いており、「チームでレギュラーを張り、試合に出場している」というヴァイッド・ハリルホジッチ監督が課すノルマもこなしている。ならば「当確」だと見ていたが、指揮官は今野や髙萩洋次郎、倉田秋と国内組で好調な選手を優先した。

 

 とはいえ、オランダからのアピールが続いている。激しい代表のメンバー争いに、今後彼が加わってくることは間違いない。

 

 今やトップ下よりも、ボランチのイメージが随分と強くなってきた。

 小林は4日のスパルタ戦でも先発し、チームは5試合ぶりに勝利を挙げた。試合状況を把握しながらバランスをうまく取りつつ、勝利に貢献している。

 

 小林の良さは、状況を見てチームをコントロールできる点だ。落ち着かせるべきなのか、それともチームとしてパワーを出すべきなのか。パスや動きなどプレーで、そのメッセージを伝えられる。守備も随分と強く、球際も闘う。クレバーでありつつ、ファイトも厭わない。その良さを認められているからこそ、ボランチの役回りを与えられているのだろう。チームメイトの信頼が厚いことも伝わってくる。

 

 向上心が、成長を呼び込んでいる。

 

 欧州移籍を急いだ一つのきっかけが日本代表だった。小林はジュビロ磐田時代の昨年5月、キリンカップに臨むA代表のメンバーに初めて選出された。初招集した選手の起用について慎重な姿勢を見せていたハリルホジッチ監督に対し、練習からアピールを続け、決勝のボスニア・ヘルツェゴビナ戦で後半29分に代表デビューを果たしたのである。それから2カ月後、ヘーレンフェーン移籍が発表された。

 

 彼はこう語っていた。

「日本代表に行って感じたのはここから先、自分が成長するためには日本を出なきゃいけないと感じたんです。オランダなら日本人選手もあまりいないし、困ったら誰かが助けてくれる環境じゃない。そういうほうが俺は向いているなって思います」

 

 使命感が、成長を呼び込んでいる。

 小林は宇佐美貴史、柴崎岳、武藤嘉紀、宮市亮、杉本健勇、昌子源らと同じ92年生まれのプラチナ世代。彼らにライバル心を燃やす一方で、「宇佐美、武藤、岳、宮市、俺……プラチナ世代と言われているヤツらで代表を固めなきゃいけないとも思います」と語るほど絆も強い。

 

 今回のUAE、タイ戦では当初の25人のうち、プラチナ世代で呼ばれたのは宇佐美と昌子の2人のみに終わっている。彼らより1つ年下であるリオ五輪世代の久保裕也が大活躍したことは、ポジションは違えども小林を刺激したに違いない。

 

 彼の左腕には、タトゥーが目立つように刻まれている。

 これは覚悟を示すためのもの。母親とふたりの妹の名前を、敢えて目が届くところに置いた。

「中学のときにブラジルに行って、同じ年代のヤツが厳しい環境でプレーしていました。もらったお金の半分を家族に仕送りする。でも試合でプレーが悪かったら“明日からもう来なくていい”と言われてしまう世界。彼らのメンタリティーに近づく何かを、自分にも課したかったんです」

 

 強い覚悟が、成長を呼び込んでいる。

 プラチナ世代の逆襲――。オランダで成長を続ける小林こそが、その先頭に立つ存在なのかもしれない。


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