まだ詳細はわかっていない。誰が、何を目的としてドルトムントのチームバスを狙ったのか。負傷を伝えられたバルトラの容態がそれほど深刻でなかったらしいと聞き、ひとまずホッとはしているが、しかし、衝撃は大きい。

 

 72年のミュンヘン五輪はテロに見舞われた。74年のW杯西ドイツ大会はテロとは無縁だった。80年のモスクワ五輪はボイコットをする西側諸国が続出した。だが、4年後のロス五輪をボイコットすることになるソ連も、82年のW杯スペイン大会には何事もなかったかのように出場し、ブラジルと死闘を演じてみせた。

 

 サッカーだけは、大丈夫――だから、若かりし頃のわたしは、そう信じて疑わなかった。五輪には、政治や宗教の違いによる対立の論理や構図が持ち込まれることがあるが、サッカーは違う。サッカーが原因で国と国が紛争状態に入ることはあっても、サッカーを抹殺しようとする動きが介入することはない。そう信じることが、マイナーだったサッカーというスポーツを愛する者の誇りでもあった。

 

 1年半前、サンドニを中心としたパリ同時多発テロ事件が起きた際も、わたしは自分に言い聞かせていた。あくまでもテロの近くにスタジアムがあっただけで、別にサッカーを狙ったわけではないはず――。

 

 だが、今回はそんな自己欺瞞も通用しない。この先どんな犯人像や動機、背景が明らかになろうとも、世界的に有名なサッカー選手たちの乗ったチームバスが、世界的に極めて認知度の高い大会において狙われたという事実は、未来永劫、消えずに残る。残ってしまう。

 

 わたしたちは、一体どうすればいいのか。

 

 まずなすべきは、バルトラの回復を祈ることだろう。祈ったところで何が変わるか? 変わらないかもしれないが、祈ってもらうことの意味の大きさを、我々日本人はあの大震災の直後に痛感したのではなかったか。同じスポーツを愛する同胞が傷ついたおりに、無関心でいられるような人間ではありたくない。

 

 あとは――。

 

 正直、いまは思いつかない。

 

 サッカーは、宗教や政治を超えるとは言い切れなくなった。サッカーは、少年を大人にし、大人を少年にするとも言えなくなった。

 

 サッカーは、深い傷を負った。

 

 これが“決定打”にならなければいいのだが。

 

 つまりはこういうことだ。98年のW杯におけるフランスの優勝は、移民の力なくしてはありえないものとされた。あの優勝は、融合のきっかけにもなった。

 

 だが、もし今回の事件が、いわゆる移民によるテロだった場合――。サッカーを愛する者の怒りは、サッカーを殺そうとした者を生み出した集合体に向けられることとなる。

 

 サッカーが、社会を変質させてしまうかもしれない。

 

 それが、怖い。

 

<この原稿は17年4月13日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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