木村潤平選手<中央>らと並ぶ二宮清純<右>二宮清純: ロンドンパラリンピック後は、水泳とパラトライアスロン両方でリオパラリンピック出場を狙っていたそうですね。泳ぐことには共通点があるとはいえ、両立は大変だったのでは?

木村潤平: 苦労しかなかったですね(笑)。当時はスイムが自分の強みで、水泳はもちろんのことパラトライアスロンにおいてもスイムを練習のベースに考えていたので、筋肉を付け過ぎることで水に対する感覚が変わるのが怖かった。パラトライアスロンのスイムにおける自分のパワー不足という課題に気付けていませんでした。その時はまだ水泳とパラトライアスロンのスイムは似て非なることに全く気付いてなかった。

 

二宮: 残念ながら水泳では選考会で敗れ、出場権を得ることはできませんでした。そこからはすぐにパラトライアスロン一本に切り替えたと。

木村: そうですね。その後はとにかく必死でした。トライアスロンはポイントレースで、2015年7月から2016年6月末までの1年間のランキング上位6人が出場権を獲得できます。僕のPT1(※)クラスの出場枠は全部で10人。残りの4人はバイパルタイト枠(招待選手枠)があり、国際トライアスロン連合(ITU)が最終的に決めます。僕はランキング9位だったので、ITUの発表待ちでしたが、なぜか選ばれる自信がありました。

 

伊藤数子: 出場が決まるまで不安はありませんでしたか?

木村: その時は気持ち的にもなぜか妙な自信があって “普通にリオ出場くらいは決めることができる”と思っていて、リオに行くことしか考えていませんでした。リオパラリンピックにはなにかしら絶対行けると思っていたんです。今、その時の状況を考えると “よくそんな自信を持っていられたな”と思っています(笑)。

 

二宮: 性格がすごく前向きですね。

木村: 水泳がダメだった時は流石に1日落ち込みました。次の日からは「これは絶対トライアスロンでリオに行かないと話にならないぞ」と気持ちは切り替えていましたね。

 

 パワー不足を痛感

 

二宮: たった1日ですか(笑)、やはりポジティブですね。4度目のパラリンピックですが、パラトライアスロンとしては初出場です。いかがでしたか。

木村: リオでは自分を過信していたところがありました。まずスイムで絶対上位にいきたいと思ったのですが、結果は10人中8位でした。海外勢のパワーに負けてしまったんです。水泳はフォームや体のバランスなど水に対する感覚が重要なんです。パワーのある選手を相手に体格で劣る日本人が勝負できる。しかし、トライアスロンのスイムは水泳の考え方ではダメだった。スイムが得意なはずなのに上位に入れなかった。水中で他の選手にパワーで弾き飛ばされることもありました。潮の流れも見誤って、タイムロスをしてしまった。ガムシャラにリオに辿り着きましたが、本番では全然通用しませんでした。

 

二宮: バイク・ランではどうだったのでしょう?

木村: 次のバイクでベストは尽くしたものの、順位を上げることはできませんでした。気持ちを持ち直して臨んだのですが、やはりここでもパワーの差を感じましたね。最後のレーサー(競技用車いす)でもリードを広げられました。パラリンピックの前に出場した国際大会ではもっと僅差だったのですが、各種目で差をつけられた。でも彼らも僕もこれが本当の実力。その時に“こんなに差があったのか”と初めて気付かされました。

 

二宮: 彼らはパラリンピックにピーキングしてきたんですね。

木村: 2016年はリオ前の国際大会で何度か上位に入ることができ、“もう少し努力すれば勝負できる”と思っていたんです。そこは自分の考え方の甘さがあったと思います。

 

二宮: 痛い目に遭ってわかったと。

木村: ええ。リオでは10人中10位。今まで水泳をやっていた頃を含めて最下位になることはあまりなかったんです。最初はなにがここまで悪かったのだろうかと色々考えました。そこで“どうしてこんなことになってしまったんだろう”と冷静になって考えた時に自分の力不足に気付いたんです。リオを経験して、自分の足りない面などをさらにいっぱい気付くことができた。いろいろなことを知ることでき、パラトライアスロンがより面白くなってきました。

 

※ パラトライアスロンは障がいの種類、程度でクラス分けをされる。PT1が座位、PT2~4が立位、PT5が視覚障がい。PTS2~4の3クラスは数字が小さいほど重度の障がい。2016年12月よりルールが改定され、PT1はPTHCとなった。

 

(第4回につづく)

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1704chPF木村潤平(きむら・じゅんぺい)プロフィール>

1985年2月14日、兵庫県生まれ。PTHC(旧PT1)クラス。先天性の下肢不全により、5歳の頃から松葉杖を使用する。小学1年から水泳を始めると、2004年アテネ大会から3大会連続でパラリンピックに出場。2014年インチョンアジアパラでは男子100メートル平泳ぎ(SB6)で金メダルを獲得した。2016年リオデジャネイロパラリンピックにはパラトライアスロンで出場し、男子PT1で10位だった。社会福祉法人ひまわり福祉会所属。


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