散々痛感させられてきたものの、改めて理不尽だなあと思う。

 

 先週末、スペインではクラシコがあった。個人的には、今年はグアルディオラが築いたバルサとポゼッションの時代に、ひとつのピリオドが打たれたと認識される年になるのかな、と思っているのだが、この試合ではバルサが意地をみせた。ご覧になられた方も少なくないだろうが、見終わったあとにグッタリとしてしまうような、掛け値なしの名勝負だった。

 

 25日にあったACLの水原対川崎Fの一戦も非常に見応えがあった。引き分けでも1次リーグ突破が決まる首位水原に対し、勝つしか道のない川崎Fが敵地でありながら必死の攻撃を仕掛け、後半の立ち上がり、セットプレーからついに均衡を破る。その後、川崎Fが幾度となく決定的な形をつくりながらモノにできずにいると、案の定、終盤に入ると水原の猛攻にさらされる。

 

 実に、理不尽だ。

 

 勝利を収めたバルサは、アディショナルタイムに決勝点をあげたメッシの働きが激賞された。敵地で値千金の勝ち点3を勝ち取った川崎Fの立役者としては、奈良の名前をあげるメディアがほとんどだった。

 

 テア・シュテーゲンと鄭成龍。バルサと川崎Fのゴールマウスを守った男の名前があがることは、ほぼなかった。

 

 メッシの2ゴールは確かに素晴らしかった。奈良のヘディングシュートも強烈だった。得点自体の価値にも極めて大きなものがあった。それはわかる。わかるのだが、2人のGKがそれぞれの試合で見せたセーブの中には、一生に一度あるかないかという、超スーパーウルトラビッグセーブが含まれていた。

 

 なのに、扱いは2番手以下。なんという理不尽。

 

 ストライカーは得点を決めれば称賛され、決定機を外せば罵声を浴びる。GKの場合は逆。止めれば称賛され、エラーをすれば袋叩きにあう。一見同じ条件のようで、しかし、内実はまるで違う。決定機を止めたGKに向けられる称賛の声は、決勝点を決めたストライカーが受けるのと同じぐらい大きいだろうか。トンネルをしたGKが浴びる罵声と、決定機を外したストライカーが浴びる罵声の、どちらが大きいだろうか。

 

 実に理不尽だ。

 

 もちろん、人口比で10%にも満たないGKという人種は、声高に自分たちの権利拡大を叫んだりはしない。理不尽な世界には、マイノリティーにしか味わえない愉悦があることを知っているから。

 

 Jリーグでは大宮が大変なことになっている。開幕から8戦勝ちなし。ファンはもちろん、選手やスタッフの精神状態は察するに余りある。

 

 でも、ちょっと羨ましい。

 

 いつか訪れる今季初勝利の瞬間に襲ってくる爆発的な歓喜は、長い一生のうちでもそう何度も味わえるものではない。それは、理不尽に耐えたものだけが味わえる、最大にして最高級の愉悦である。

 

<この原稿は17年4月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから