みなさん、こんにちは。野球シーズン真っ盛りですね。私も休むことなく至る所に出没させてもらっています。もしかすると読者のみなさんとどこかの球場などですれ違っているかもしれませんね。もし見かけたら気軽に声をかけてください。


 さて、今回は堅苦しい話はやめにして、私がホークスの2軍マネジャーをしていたときの話をしたいと思います。本当はマネジャーをやるきっかけになった話から書きたいのですが、それはあまりにも内容が濃くて、暴露話にもなりかねないので今回は、その部分は飛ばしておきましょう。

 

 各球団、チームは違ってもマネジャーをやっている全員が一番大変だと口を揃えるのは「首脳陣がワガママ」だということです。ですが、私のときは定岡智秋監督がいて、監督と大の仲良しである高柳秀樹コーチがチームを仕切る形になっていたので、全く大変ではなく、とても楽しくやらせていただきました。

 

 とはいうもののマネジャー業はやはり大変なものでした。自分が一番大変だと思ったのはビジターの試合後の移動です。どこのチームのマネジャーも同じだと思いますが、ゴールデンウィーク、お盆、3連休などは遠征に出たくありませんでした。しかし、リーグは満遍なく、まるで「マネジャーが苦労するかのように」、そういう連休やお盆にビジター試合を組んでくれていました。早くから移動手段、道路の混み具合などを入念に調べた上で、旅行会社、ホテルと綿密に打ち合わせてスケジュールを立て、万全の体勢で試合に臨んだものです。

 

「じゃあ一番遅い時間の飛行機や新幹線を予約しておけばいいじゃない」という指摘がきそうなので、言い訳をさせてください。渋滞もなくスムーズに空港や駅に到着すると、当然チームからは「時間を変更できないの?」と声が上がります。変更といっても1人や2人ではありません。人数が人数なので、そう簡単に変更できないんですよ、これが……。

 

 スケジュールに余裕を持っていても事件は起こるものです。私が一番焦ったのが、広島カープとの2軍戦でした。カープ2軍の本拠地・由宇ではなく、そのときは広島県佐伯町で試合がありました。

 

 7回まで2時間30分ペースの試合でした。「これなら渋滞が起こっても新幹線の時間に間に合うな」と余裕を持っていたら、そこから両チームの投手が大乱調……。試合は3時間を超えて、ようやく終了。まだ大丈夫だろうと自分に言い聞かせてましたが、選手たちには「時間がないからすぐ着替えて」と急かし、バスに乗り、走り出すと15分で大渋滞につかまりました。なんてこった……。

 

 私は顔面蒼白状態で、運転手さんに「抜け道はないのか」「高速はどうだろう」「バイパスは?」と質問攻め。遅れたらどうする、と頭の中はパニックでした。

 それを見ながら定岡監督は「田口、これは間違いなく遅れるぞ」と笑いながら茶々を入れてきます。こんな時にうるさい、と思いながらも、そこは大人ですから笑顔で対応してたものです。

 

 そのときは「もうダメだな」と自分でも諦めていましたが、運転手さんの好判断で高速に乗り、広島駅に着いたのが発車5分前でした。「時間が5分しかないから全員ダッシュでホームまで行ってください!」と声を掛け、ギリギリセーフ、全員が無事に乗車しました。無神論者なのですが、このときばかりは「神様ありがとう!」と心の中で呟いてしまいました(笑)。

 

 こんな経験もうしたくないと思いながら、自分の席に座り、安堵して周りを見渡すと選手たちは何食わぬ顔して爆睡していました。
「お前ら、俺の苦労も少しは分かってくれよー」と心の中で叫びながら、車中でその日の成績をパソコンに打ち込んでいたのを思い出します。連休前半に渋滞のニュースを目にして、ふとこんなことを書きたくなってしまいました。

 

 2軍マネジャー時代のエピソードでは、「川崎宗則事件」という一番面白い話も書きたかったのですが、今回はここまで! ではまた来月お目にかかりましょう!

 

1600314taguchi田口竜二(たぐち・りゅうじ)
1967年1月8日、広島県廿日市市出身。
1984年に都城高校(宮崎)のエースとして春夏甲子園出場。春はベスト4、夏はベスト16。ドラフト会議で南海ホークスから1位指名され、1985年に入団し、2005年退団。現在、株式会社白寿生科学研究所人材開拓グループ長としてセカンドキャリア支援を行なっている。

◎バックナンバーはこちらから