170508ishimoto4「ずいぶん前から負けたら終わりと思ってリングに立っていました」

 プロボクサー石本康隆はデビューから9つの負けを喫している。アマチュア時代も含めれば、ちょうど2ケタになる。所属する帝拳ボクシングジムに入門して15年の歳月が経過した。“3度目の正直”で掴んだチャンピオンベルトも手放したが、それでも彼はまだリングに立ち続けている。

 

 まさかのTKO負け

 

 負けたら終わり――。石本のその姿勢は、15年12月に日本スーパーバンタム級のベルトを巻いてからも感じられた。2度目の防衛戦に勝利した後には「職がつながった」と漏らし、安堵していた。だからプロ通算9度目の黒星、今年2月4日の後楽園ホールで王座から降りることなった時には、そのボクシング人生にピリオドを打つかと思われた。

 

 1年1カ月ぶりに後楽園ホールのリングで“再会”した石本と久我勇作(ワタナベ)。下馬評は挑戦者有利との声も少なくなかった。石本が勝ちにしがみ付き、執念でベルトをもぎ取ったのが前回の対戦だ。9歳下のチャレンジャーは雪辱に燃えていた。

 

170508ishimoto2 試合開始のゴングが鳴ると同時に仕掛けたのは久我だった。そして、1分が過ぎたころだ。挑戦者の右フックが石本を襲う。傍目にはパンチが当たったという印象はなかった。スリップのようにも映ったが、レフェリーはダウンとジャッジし、カウントを取った。このラウンドは盛り返せぬまま、終了のゴングを聞いた。

 

 インターバル間、コーナーに座り、セコンドの指示を受ける。表情は明るく、余裕すら感じられた。石本本人も「2ポイント取られただけ。“大丈夫だ”と頭は冷静でした」と焦ることはなかったという。

 

 だがポイントを挽回できぬまま、第2ラウンドで勝敗は決した。2分49秒、リング上にはタオルが投げられた。ラッシュを仕掛けていた久我と、ロープ際で耐えていた石本の間にレフェリーが割って入った。鳴らされるゴング。勝者は挑戦者――。それは石本が1年以上守り抜いてきたベルトを失うことを意味していた。

 

 頭は下がっていたが気持ちまでは折れていないように見えた。しかし、ボクサーを守るのもセコンドの使命である。試合後の石本も「自分ができると思っていても傍から見れば違うということ。ボクサーはみんな“やれる”“効いていない”って言いますから」と潔かった。

 

  そして敗戦から数カ月の月日が経った今も、石本の答えは変わらない。

「今でもタオルに関して不満はないです。やはり“あそこで逆転はできない”と思って投げているわけですから、そういうふうに思わせてしまった自分の実力のせいです」

 

 名門ジムが証明する価値

 

 試合後の控室は当然、重苦しい空気が流れていた。記者に囲まれながら「心に決めている答えはある」と話す石本の目は赤かった。これまでの言動、この時の表情を見る限り、“引退”の2文字をほぼ決定付けるものだった。少なくとも私はそう思った。

 

170508ishimoto5 実際、石本も「正直、終わった直後は辞めようと思っていました」と胸の内を明かす。だが土曜日の試合から週が明けた月曜日にジムへ顔を出して、その気持ちは揺らいだ。会長とマネジャーと話をした時に、2人からは“引退勧告”は叩き付けられなかった。その覚悟はできていた。会長の口から出てきた言葉は予想していたものとは違うものだった。

 

「もし続けるならバックアップするぞ」

 

 地元・高松に帰り、休養を取り、1人でじっくり考えた。周囲からは励まされた。ファンの声も後押しになったのは事実。そして何より、“自分が自分に納得したい”との思いがあった。彼はリングに戻る決意をした。

 

「結局、負けてもしつこく続けています」と石本は笑うが、ジムから引導を渡されないことがボクサーとしての価値がまだあるという証拠だ。「ウチは負けに厳しいジムです。何人もクビを切られた選手も見てきました」。帝拳という名門ジムに籍を置きながら、長く続けられていることも勲章のひとつと言えるだろう。

 

 走り出した復活への序章

 

170508ishimoto6 再起に向けて走り出した元王者。4月下旬には神奈川県の小田原でキャンプを行うなど精力的に身体を動かしている。まずは身体づくりから始めており、小田原のジムambioに出向いて心肺機能を強化するトレーニングを中心にイチから鍛え直した。

 

 トレーナーには4月から帝拳所属となった同学年の西尾誠が就いた。元帝拳のプロボクサーである。「昨年、ambioで合宿を行った時にミットを持ってもらったこともあります。初めてという感じではないので、割と入りやすかったです」と石本。これまでは常に年上のトレーナーと組んでいた。新たなコンビ結成に「西尾が知っているボクシングと、僕が知っているボクシングを融合させるイメージです。2人で話し合いながら決めていっています」と口にする。

 

 石本の当面の目標は、失ったベルトを奪還することだ。試合が組まれるまで、指をくわえて待っているわけにはいかない。いつ声がかかってもいいように、その拳を研ぎ続ける必要がある。負けたら終わり――。それは今でも同じ気持ちだ。

「元々、崖っぷちではありましたが、さらに崖っぷちになったので一戦必勝なのは変わりません」

 

170508ishimoto1 29勝9敗のプロボクサー。その数字は彼の誇りでもある。

「決して綺麗な成績ではないですが、海外でも試合をしていますし、負けたところから何度も這い上がってきました。来た試合は全部受けています。計量も常にクリアしていますし、棄権をしたこともない。エリート路線ではないですが、自分のキャリアは誇れるものです」

 試合用トランクスにはいくつものスポンサーの名が並ぶ。華々しい経歴ではない石本にこれだけのサポーターが付くのは、彼の人柄が物語っている。決して言い訳をしない。人のせいにもしない。その潔さ、真っすぐな性格だからこそ、背中を押したくなる。

 

 何度も辞めようと思った。それでも何度も立ち上がった。厳しい練習や減量をこなしても、勝利の喜びは何にも代え難いものがある。リングで味わう勝った時の快感は、選ばれた者にしか味わえない。

「やはりお客さんあってのボクシング。勝てば自分自身もうれしいですが、リングから見てみんなが拳を挙げていたり、泣いているのを見た時はもっとうれしいですね。“自分が人に影響を与えているものはボクシングしかない”。そこは確信を持っています」

 

 そんな石本に「ボクシングとは?」と問うと、「仕事であり、一番本気になれるもの」と答えた。彼の本気がリングで交錯する。割れんばかりの声援に石本は己の拳で応える。崖の淵で踏みとどまり、再びリングで闘うことを選んだ。この先も石本康隆のボクサーズロードを描きたいと思う。彼がファイティングポーズを取り続ける限りは。

 

(おわり)

 

170508ishimotoPF石本康隆(いしもと・やすたか)プロフィール>

1981年10月10日、香川県生まれ。中学2年でボクシングをはじめ、アマチュアでは1戦1敗。02年2月、20歳で上京し、帝拳ジムに入門する。同年7月にプロテストに合格し、11月に後楽園ホールでデビュー。05年にはスーパーフライ級で東日本新人王決定戦準優勝。12年2月には、日本スーパーバンタム級のタイトルに挑戦するが、判定負けで、ベルト獲得はならなかった。12年4月にWBOインターナショナル同級タイトルマッチで勝利し、王座を獲得。15年12月には自身3度目の日本タイトル挑戦し、判定勝利を収め念願のベルトを手にした。2度の防衛を経て、今年2月にTKO負けで王座陥落。2017年4月現在、スーパーバンタム級日本4位。右ボクサーファイター。通算戦績29勝(8KO)9敗。

>>ブログ「まぁーライオン日記~最終章~」

 

 

(文・写真/杉浦泰介)


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