名字が同じという理由からではない。彼の生き様が私には日本サッカー界のレジェンド三浦知良(横浜FC)に重なる。いつか、この国のアイスホッケーの救世主となるのではないか。

 

 この7月で21歳になる三浦優希から先日、メールが届いた。<この一年は本当に多くの経験ができました。つらく苦しい時間の方が長かったですが、そんな中でも家族同然のチームメイトたちに助けられここまで来られました>

 

 三浦が所属するウォータルー・ブラックホークスは目下、プレーオフカンファレンス決勝戦の真っただ中だ。日本時間の10日、「プレーオフファイナル進出をかけた大一番」が行われる。

 

 参考までに言えば、ブラックホークスは米国のジュニアリーグ(20歳以下)USHLの強豪チーム。彼はオーバーエージ枠を争っている。このリーグでの活躍が認められれば、ドラフト会議でNHLから指名されることもある。

 

 三浦の父・孝之はオールドファンには馴じみ深い名プレーヤーだ。DFとして98年長野五輪に出場し、32歳まで日本リーグの西武鉄道でプレーした。

 

 優希は元日本代表の父親の影響を受け、3歳の時には、もう氷に乗っていた。小学生の時から、将来の夢を聞かれるたびに「プロのアイスホッケー選手」と答えていた。

 

 アイスホッケーはチェコの国技である。長野五輪では決勝でロシアに勝って金メダルを獲得した。蛇足だがチェコの人間でロシア人が好きだという御仁にはお目にかかったことがない。「プラハの春」を踏み潰したソ連の無慈悲な戦車の轍は、時代を超えても語り継がれ、民族の心の傷として残っている。

 

 金メダルの30年前、悲劇の舞台となったヴァーツラフ広場には大型スクリーンが設置された。1-0でロシアを退けた瞬間、大歓声が上がった。国中が歓喜に包まれた「プラハの冬」だった。

 

 三浦がチェコのクラドノというクラブに入団したのは2013年だ。「チェコはパス回しがきれいで、美しく点を取ることが評価される」。クラブで結果を出し、プロ契約まで提示されながら、米国に戦いの場を移したのはなにゆえか。「厳しい環境が僕を鍛えてくれると思ったからです」。望んだものは得られつつあるのか。アイオワからの朗報を待ちたい。

 

<この原稿は17年5月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから