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(写真:試合内容では上回っていたように見えた村田だが、顔の生傷もエンダムに比べて目立っていた)

 20日、ボクシングのトリプル世界戦が東京・有明コロシアムで行われた。WBA世界ミドル級王座決定戦は同級2位の村田諒太(帝拳)が同級1位のアッサン・エンダム(フランス)に判定で敗れた。WBC世界フライ級タイトルマッチは同級1位の比嘉大吾(白井・具志堅)が前王者のファン・エルナンデス(メキシコ)に6ラウンド2分58秒TKO勝ち。デビューから13連続KO勝ちで王座を奪取した。WBC世界ライトフライ級タイトルマッチは同級4位の拳四朗(BMB)が王者のガニガン・ロペス(メキシコ)を判定で下し、ベルトを手に入れた。また愛知・武田テバオーシャンアリーナでのWBO世界ライトフライ級タイトルマッチは王者の田中恒成(畑中)が判定勝ちを収め、初防衛に成功した。

 

 まさかの判定で、プロアマ世界一ならず

 

 3人目のジャッジが発表された時、1万人を超える観衆はどよめいた。2ー1のスプリットディシジョン。ジャッジが割れた接戦を制し、WBA世界ミドル級のベルトを手にしたのは、“ホーム”で戦った村田ではなく、カメルーン出身のフランス人・エンダムだった。

 

「結果は結果。内容は第三者が判断することなのであまり言いたくない。ここまで力を貸してくれた人たちに申し訳ない」

 そう悔しさを滲ませながら、村田は語った。

 

 村田は序盤からガードを固め、前へとプレッシャーをかける。すべては作戦通りのはずだった。特に第1ラウンドはエンダムのパンチを警戒。ほとんど手は出さず間合いを詰めることにした。ラウンド終了間際に右ストレートを放ち、場内を沸かせた。振り返って村田は言う。「角度を見るまでは詰めて打とうと。作戦としては間違ってなかった」

 

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(写真:「ガード越しでもグラグラさせた。手応えはあった」と言う村田だったが結果には結び付かなかった)

 2ラウンド目以降は徐々に手数を増やしていく。対するエンダムはパンチを打って村田に近付かせない。足を使ってリングに円を描くように動き回る。エンダムは「村田が前にくる戦略はわかっていた。ジャブを使って距離をとった」とアウトボクシングに徹した。

 

「当たれば倒せる」。試合前から自信を見せていた右の強打は、ガードの上からでも破壊力を感じさせた。第4ラウンド、2分半が過ぎようとしていた時だ。村田がカウンターの右ストレートを一閃。エンダムの顔面をとらえると、相手はヒザをついてダウンした。KOチャンスと思われたが、エンダムを倒し切れなかった。

 

 その後は打ち合いになっても村田は笑顔を見せるなど、「効いたのは1回もなかった」という。一方のエンダムも「ダウンとられた後も数秒でリカバリーできる。だから戦略を遂行できた」と有効打に映ったパンチを浴びても首を振って“効いていない”とアピールし続けた。

 

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(写真:終了直後に右拳を掲げる村田。だが、その表情は勝利を確信したものではない)

 結局、12ラウンドが終了。エンダムはコーナーに上って勝利をアピールし、村田は右拳を天に掲げた。勝敗はジャッジに委ねられた。この時の心境を村田は「胸騒ぎがした」と口にし、エンダムは「村田よりポイントを取っている。だが確信は持てずにいた」と両者ともに一抹の不安を感じていたのは事実である。

 

 ジャッジ3名の判定は割れた。1人は117-110で村田に軍配を上げた。残りの2人が116-111、115-112でエンダムを支持した。手数ではエンダムに分があったかもしれないが、有効打は村田が上回っていたように見えた。しかし、ジャッジの印象は違ったようだ。試合後の両者の顔を比べると、傷ひとつないように見えるエンダムに対し、村田には生傷が目立った。それに「相手は足を使うのが巧かった」「もう1、2回ダウンを奪えば勝てた」と村田が嘆いたように倒し切れなかったことも勝てなかった理由のひとつだ。

 

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(写真:エンダム陣営は現ミドル級最強と言われているゴロフキン戦も視野に入れている)

 村田がベルトを掴めば、ロンドン五輪ミドル級金メダルに続く快挙達成だったがそれは叶わなかった。勝ったエンダムは村田を「まだ未来のあるボクサー。必ず将来はチャンピオンになる」と称した。敗れてもなお強しとの印象を残したことも確かだろう。

 

 本人は今後に向けては気持ちの整理が必要だという。「これまでの努力の集大成を見せたかった。それを見せられなかったことに対して、負けたからもう1回やりますなんて簡単には言えない。正直、そんな簡単な日々を歩いてきたつもりはない」。金メダリストの肩書きを引っさげ、プロ転向後12戦負けなしで駆け抜けてきた。“ゴールデンボーイ”村田はまさかの敗戦で、足止めを食うこととなった。

 

 フライ級奪還し、羽ばたいた“新カンムリワシ”

 

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(写真:リング上のインタビューでは“師匠譲り”のマイクパフォーマンスで場内を沸かせた)

“カンムリワシ”の愛弟子がついに世界タイトルを獲得した。21歳の比嘉がデビューから13連勝で掴んだ栄光。全戦KO勝ちというクリーンレコードで偉業を成し遂げて見せた。

 

 映像では研究したものの、自ら体感してみないとわからない。比嘉は第1ラウンドは様子を見るかたちで入った。「1ラウンドはうまくさばかれて、アッパーをもらった」。予想外の距離感、そして相手のパンチだった。それでも慌てることはなかった。コーナーに戻り、セコンドにつく野木丈司トレーナーに「つかまえられます」と話したという。2ラウンドからは左ジャブを軸に試合を展開した。

 

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(写真:「21歳で世界を獲る」。有言実行で叶えてみせた)

 すると2ラウンドに試合は動いた。ラウンド終了まで残り1分を切ったところで、比嘉がエルナンデスからダウンを奪う。しかし4ラウンドを終えての公開採点は比嘉が1-2(38-37、37-38、37-38)と負けていた。セコンドの野木は5ラウンドに送り出す比嘉に「もう詰めていっていいよ」と指示した。

 

 1段ギアを入れたように前へと詰める。動きのスピードも増し、猛禽類のように獲物を仕留めにかかる。「とりあえず身体に任せて手を出した」。5ラウンドにダウンを奪うと、6ラウンドには4度もエルナンデスをキャンバスに沈めた。計5度のダウンから立ち上がってきたエルナンデスのタフさにも驚かされたものの、6度目のダウンでレフェリーが試合を止めた。

 

 ロープによじ登って歓喜を表現する比嘉。傍で具志堅用高会長は目を潤ませていた。「昨日(19日)は白井義男先生が世界タイトルを初めて獲得したボクシングの日だったので、フライ級のベルトを取り返せて良かったです」と比嘉。白井・具志堅ジム初の世界王者となった。具志堅会長も「比嘉を褒めてあげてください」とファンに呼び掛けた。

 

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(写真:スピード感溢れる攻撃はカメラでとらえるのも困難だった)

 比嘉が負けられない理由は他にもあった。相手のエルナンデスは計量オーバーで王座から陥落していた。「計量失敗した後、体重を落とさず試合に勝つことだけ集中するボクサーが増えている。今回は絶対負けたくないと思っていました」。減量に苦しみながら比嘉も体重を合わせてきた。ボクサーとしての意地がある。負ければ空位になるWBCのベルトを自力でつかんで見せた。

 

「ボクシングが知らない人でも観たいと思うボクサーになってほしい」と具志堅会長。トレーナーの野木は「日本のボクシング史を彩るような選手になってくれると思う。今日がスタートですよ」と語る。沖縄出身の21歳。“新カンムリワシ”が羽ばたいた。

 

  父に捧げるチャンピオンベルト

 

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(写真:父は会長、息子は世界王者。父子鷹のボクサー)

「親孝行できたと思います」。拳四朗は父親に自分よりも先に緑のチャンピオンを腰に巻かせた。これでライトフライ級は4団体(WBC、WBA、WBO、IBF)を日本人がコンプリート達成だ。

 

 拳四朗にとって初の世界戦。「最初は硬かった」というものの、徐々にリズムを掴んでいるように見えた。本来、後半が強いタイプだが、王者の粘りに苦戦した。「予想通りしぶとかった」と、父・寺地永会長は振り返る。相手のワンツーを警戒し、足を使って距離を取った。12ラウンドを戦い抜き、判定は2-0(114-114、115-113、115-113)で接戦をモノにした。

 

「内容は全然良くなかった。(判定で勝者として)呼ばれた瞬間はホッとした」と新王者は口にする。寺地会長は東洋太平洋ライトヘビー級でチャンピオンまで上り詰めたが、息子は世界チャンピオンになって父を越えて見せた。「ここからどんどん強くなって防衛します。負けないチャンピオン。勝ち続けます」。25歳の孝行息子は更なる飛躍を誓った。

 

(文/杉浦泰介、取材・写真/大木雄貴)