1998年1月、クリスマス休暇が明けて、スペインリーグ2部が再開した。

 

 横浜マリノスからウニオ・エスポルティーバ・リェイダ・S・A・D(以下、リェイダ)にレンタル移籍していた安永聡太郞の契約は、このシーズン終了まで半年延長されていた。

 

 リェイダの生活は快適だった。

 

 自転車で走り回れる程度の、小さく、こじんまりとした街を安永は気に入っていた。食事はほぼ毎日外食。スペインの食は素朴で口に合った。このまま、スペインでサッカーを続けたいと安永は考えるようになっていた。

 

 後期リーグが始まって、安永の調子は上がらなかった。体の状態は悪くない。しかし、何かが噛み合っていないのだ。

 

 ある日、エルシーニョというブラジル人選手がこう話しかけていた。

「お前、大変だな」

 

 彼はルクセンブルク、ポルトガルリーグを渡り歩いてきたフォワードだった。安永は何の話をしているのか分からなかった。すると彼はこう続けた。

「俺が上から見ていて思うのは、お前のところにボールが出なくなっている。ボールがもらえなければ、どうしょうもないよな」

 

 その試合で彼はベンチから外れており、観客席から観ていたのだ。そして、こう囁いた。

「お前が賞を獲ったことを面白く思わない奴がこのチームにいる」

 

 賞とは、前号(第115回リーガエスパニョーラへの憧れ ~安永聡太郎Vol.6~)で触れたバルセロナでの表彰のことだった。チームの中心選手が安永の受賞を妬んでいたのだ。

 

 安永はこう振り返る。

「そう言われて初めて、自分のところにパスが出てこないことに気がついた。何試合か無得点が続くと、その主力選手が“お前、何やっているんだ。お前のポジションはどこだって”と言ってきた」

 

 自分は得点を期待されるフォワードである。しかし、効果的なパスが中盤から出てこなければ、点は決められない。そのパスを出さないのは、中盤のお前だろう、と安永はむっとした。

「もっと前に行けとか。目の敵のようにしてくる。うっせーなと思ったけど、喧嘩するほどスペイン語は達者じゃなかった」

 

 移籍当初、安永はスペイン語のレッスンを受けていたが、ピッチで困らない程度は話せるようになり、やめていた。

 

 このシーズン、安永は34試合4得点という成績だった。チームは5位。入れ替え戦の出場資格を得られる4位に一つ届かなかった――。

 

 スペインにいると雑念が入ることなく、サッカーに集中することができた。もう少しこの国にいたい。いずれ1部でやりたいという思いが出てきていた。

 

 コパ・デル・レイで1部のレアル・サラゴサと対戦したときも、やっていけるという手応えがあったのだ。レンタル移籍の延長、あるいは他のクラブに行きたいと安永は横浜マリノスの人間に相談している。

 

 しかし、「スペインのクラブからオファーがない」という返事だった。

「本当に、そのときはヘコんだ。“1チームぐらいないんですかー”って言った記憶がある」

 

叶わなかったスペイン残留

 

 安永は後ろ髪を引かれる思いで、日本に帰国することにした。

 

 だが、のちに全く違った話を耳にすることになる。

 

 安永が密かに行きたいと思っていたのは、アトレチコ・マドリーBだった。このクラブは、マドリッドを本拠地とする名門クラブのBチームで、2部に所属していた。

 

 1部と繋がっている、アトレチコBで結果を残せば、スペイン1部のクラブ関係者の目につくはずだった。

「アトレチコBと試合したとき、俺、割と頑張ってプレーしたんです。だから“(マリノスの人間にオファーが)来ていないですか?”と聞いたら、来てねぇって。だけど、後からアトレチコBにいた日本人の方から聞いたんですが、“リェイダにいる安永というのを獲りたい”という話になった。“リェイダとの関係はどうなっているんだ”と。それで調べてみたら、(自分は帰国して)マリノスと契約したことが分かった。“それで無理だね”と。Bチームなので、移籍金を払ってまで買うお金はなかったんです」

 

 こちらもまた仄聞ではあるが、最初のレンタル移籍の際、横浜マリノスはリェイダに完全移籍を持ちかけたようだ。

「6、700万円の移籍金で買わないかという話をした。でも2部のチームだし、未知の選手にお金を使う気はなかった。それで半年間、ぼくが活躍した後、もう一度移籍金の話になったら、今度はマリノス側が、全く違う値段を言ったらしいんです。それは2部のクラブではとても支払えない額でした。それで完全移籍で買ってもらえなくなってしまった。ですが、その後もレンタル延長という形で出してもらえたことは今もマリノスに感謝しています」

 

 

 当時のJリーグの統一契約書は、日本人選手の国外移籍を念頭に置いて作られていなかった。今から考えれば、マリノスの契約終了を待って、移籍金が発生しないように移籍する方法もあったろう。しかし、この当時はその方法をとった日本人選手はいなかった。代理人制度もまだ一般的ではなかったのだ。

 

 安永は当時のことを思い出したのか、声が大きくなった。

「俺、人生をやり直せるとしたら、あそこに戻って、(スペインで)もがきたい。マリノスからオファーないよって言われて、素直に帰っているから。でも本当に残りたいんだったら、チームメイトや地元の新聞記者にどっかチームないかと聞くべきだった。安永がチームを探しているという記事を出してもらうとか。その一歩を踏み出さずに、ないと言われてまっすぐ帰っちゃう自分が……」

 

 情けなかったという言葉を、安永は飲み込んだ。

「それ以外の人生は自分がやってきたことだから、しょうがないって思えるんだけれど、あそこだけはやり直せるならばやり直したい。誰かに言っていれば、と思う」

 

 そして、「言えなかったぁー」と、腹の中に溜まっていた後悔を吐き出すかのように大きな声を出した。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

 1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)など。最新刊は『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。公式サイトは、http://www.liberdade.com

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