(写真:相手を倒しきれず、プロ入り後初の敗戦を喫した村田)
プロボクシングの判定を信用してはいけない。
なぜならば、そこに明確な基準が定められていないからである。
ラウンド支配(主導権)、有効打、手数……ジャッジが、いずれを優先しても構わないというのが現状なのだ。つまり、客観性ではなく、ジャッジの主観が反映されるのが判定結果ということになる。フルラウンを闘い終えたならば、どちらが勝者になっても何の不思議もない世界なのだ。
私は常々、思っている。
最終ランド終了のゴングが打ち鳴らされた時点で両者がキャンバスの上で立っていたならば、その試合はドローである、と。
互いに倒せなかったのだ。
その試合の内容を第三者に吟味させ、無理に勝者を決めることに、どれだけの意味があるのだろうか。
物議を醸した世界戦の判定
5月20日、東京・有明コロシアムで行われたWBA世界ミドル級王座決定戦、アッサン・エンダム(フランス)vs.村田諒太(帝拳)。この試合の判定は物議を醸した。
敢えて採点をするならば、試合の主導権を握り続けた村田の勝利を支持する。しかし、これまでの数々の世界戦を振り返れば、逆の見方もあり得ると思う。
村田はエンダムを倒しにいかねばならなかった。だが、チャンスがあったにもかかわらず、村田にはそれができなかった。
4ラウンド、村田は右ストレートをエンダムの顔面にヒットさせてダウンを奪った。場内は大いに沸く。KOのチャンスだ。
だが、村田の闘い方は、あまりにも消極的だった。
畳みかけようとはしない。
教科書通りのやり方を貫き、競技者であり続けようとしていた。
両腕でしっかりと顔面をガードして前進、相手にプレッシャーを与えながら右ストレートを放つ。このやり方を、KOできるチャンスであっても機械の如く繰り返したのだ。
歯痒かった。
五輪金メダリストである「アスリート村田」は、「キラー村田」にはなれなかった。
ダウンを奪ったのは4ラウンドである。
試合は12ラウンドまで続く。
もし、ここでラッシュをかけて、それでも倒せずスタミナを消耗してしまったならファイトプランが狂い、敗北につながるかもしれない。そのことを村田は恐れたのだ。
あの時、4ラウンド、5ラウンドに猛ラッシュをかける勇気が彼にあれば、勝者になっていただろう。
コンプリートなファイターではなかった
試合後に勝者となったエンダムは言った。
「やはり、ムラタはコンプリートなファイターではなかった」と。
この言葉の意味は、よくわかる。
4ラウンドに倒された後、畳みかけられていたならば、自分は最後まで立っていることができなかった、とエンダムは自覚しているのだ。
畳みかけられることが一番怖かった。
でも、村田は、そうしてこない。だから、エンダムは手数の多さで誤魔化しながら最終ラウンドまで闘うことができたのである。「本能のままに動かず、スタミナ切れを恐れる勇気のなさ」=「コンプリートなファイターではない」ということなのだろう。
昨日(6月8日)、村田は再起を表明した。
WBAはエンダムと村田の再戦を指示している。
でも、それを観たいとは思わない。
エンダムは世界のベルトを腰に巻いてはいるが、「ミドル級最強の男」ではない。
プロボクシング世界ミドル級最強の男は、言うまでもなくWBA世界スーパー王者であり、WBC、IBFのベルトも保持しているゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)である。帝拳ジムの力があれば、「ゴロフキンvs.村田」のマッチメークは可能だろう。
最強の男に挑んでこそ、村田は輝けると思う。ベルトよりも高き志を。「アスリート村田」ではなく、「キラー村田」を見せて欲しい。
近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『忘れ難きボクシング名勝負100 昭和編』(日刊スポーツグラフ)。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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