170626最終回サインもち(加工済み) 徳島ヴォルティスのユース昇格のオファーを蹴った郡絋平は、地元の強豪校である徳島市立高校への進学を考える。実家から通えるため、両親も一安心……、と思いきや、そう易々と話は進まなかった。

 

<2017年6月の原稿を再掲載しております>

 

 郡は高校選びの時のことをこう振り返る。

「3つ上の兄が徳島市立高校に通っていました。兄からサッカー部顧問の河野博幸先生の話を聞いて、河野先生のもとでサッカーをしたいと思うようになりました」

 

 徳島市立高校は現在、高校サッカー選手権大会に15度出場、インターハイと全日本ユース選手権を1度ずつ制覇している徳島の強豪校だ。

 

 だが、父・寛之は県内に残ることを反対した。それは息子のことを思ってだった。

「東京や大阪などと比べると、徳島はどうしてもサッカーのレベル的に劣ってしまう。紘平はある程度、実力はあった。だから、“レベルの高いところで勝負してこいよ”と思っていたんです。だから私は県外の高校に紘平を行かせたかった」

 

 郡は父に「河野先生のもとでサッカーがしたい」と伝えた。それでも父は「田舎でくすぶってしまう」と県外の高校進学を強く推した。徳島市立高校か、県外の高校か……。ここで一度、郡は冷静に考える。吟味に吟味を重ねた結果、それでも郡の答えは変わらなかった。「県外の強い高校に行ったとしても、僕の代が強いとは限らない」と判断したのだ。

 

 思いは決まった。後は、父を説得するだけだった。父の首を縦に振らせるために、郡は大胆な条件を提示した。それは「徳島市立高校を自分が全国に6回連れていく」というものだった。高校サッカー界の“全国”とは、夏のインターハイ。そして、もう1つが冬の風物詩とも言える高校サッカー選手権大会だ。郡は「6回連れていく」と言ったのだから、3年間でその全大会の出場を条件とした。

 

「父は“外に出て欲しい”と思っていたのに、徳島市立高校への進学を選んだ。それなら自分が全国に連れていくという覚悟がないと」

 郡は当時のことを振り返りつつ、熱く述べた。その気持ちにほだされた父・寛之は息子の決断を許したのだった。

 

スタンドでの声出し

 

 桜が咲く季節になり、徳島市立高校に進学した郡はサッカー部の門を叩く。入学した週の試合に早速起用されるなど1年生からAチームのメンバー入りを果たす。概ね順調だったが、顧問の河野からは「運動量と守備が課題」と言われたという。中学の時のように反発したのか、と訊くと「反発する暇さえなかったです。“言われたことは全部やってやろう。3年生にがむしゃらについていくんだ”と必死でした」と答えた。上級生にもまれながらも充実した日々を送っていた。

 

 郡が1年の夏冬、そして2年の夏と徳島市立高校は全国大会出場を果たした。ところが、2年の選手権・県予選の5日前に彼は右足首の靭帯を断裂してしまう。県予選の決勝以外はスタンドでの応援となった。ここで郡は「今、振り返ると、あれはいい経験でした」と語り、こう続けた。

 

「1年の時から試合に出ていたので、スタンドでの応援を経験したことがなかったんです。それまでは試合中に“(応援の声)小さいなぁ、もうちょい出るやろ”と思っていました。いざ自分がやってみると、1試合応援し続けるのってキツイんです。みんな、メンバーに入れなかった複雑な気持ちもある。それでも声を出して応援してくれている。自分が試合に出る時は、みんなの気持ちを背負って戦うんだと、意識が変わりました」

 

 徳島市立高校は郡を怪我で欠きながらも、県予選の決勝まで駒を進めた。決勝の相手は鳴門高校。負傷明けの郡をピッチに送り出したものの、徳島市立高校は0-1で敗戦。全国への切符を手にすることはできなかった。同時に父との「6回全国へ連れていく」という約束も果たせなかった。

 

 この時の郡の様子を父・寛之は述懐する。

「珍しく泣きじゃくっていました。コーチに抱えられて帰ってくるレベルでしたから。本人的には怪我の影響で思ったようなパフォーマンスが出せず、みんなを全国へ連れていけなかったという思いがあったのでしょう。この経験や悔しい気持ちを3年生になって、サッカーにぶつけてほしいなと、そう思いました」

 

意識の変化

 

170626最終回ソロショット(加工済み) 高校生になって3度目の春を迎え、郡は最上級生になった。チームを引っ張るという責任感が芽生えたと同時に、プレーでの意識が変わった。

「2年の時はアシストなどで得点に関われれば良いと思っていました。でも3年になって、“自分で決めて勝ちたい”と思うようになり、得点にこだわり出したんです」

 

 高円宮杯U-18サッカーリーグ2016プリンスリーグ(四国)で郡は20得点と爆発し、得点王に輝いた。「得点が入り出すと良いサイクルができて、さらにゴールを奪える」。彼はこの年、夏も冬もチームを全国へ導いた。

 

 冬の選手権は2回戦で敗れたが、2ゴールを決めた。充実した3年間はあっという間だったのだろう。郡は「高校は部活も学校生活も楽しかった」と満面の笑みを浮かべる。父・寛之も「(中学時代とは)ガラッと変わりました。部活も、体育祭も文化祭も本当に楽しそうでした」と、当時の息子の様子を嬉しそうに語った。

 

 そして郡は四国を離れ、関東へ渡る決断を下した。進学先は関東リーグ1部に属する専修大学。長澤和輝(現・浦和レッズ)を輩出した名門である。

 

 この決断を父・寛之は喜んだ。

「ホッとしました。私としては中学を卒業して県外に出したかったので(笑)。関東リーグは大学サッカーの中で一番レベルが高いと思います。そこで勝負できるのは嬉しいですね」

 

 郡自身も「目標はプロです。そのために関東リーグの1部の入りたいという考えはありました」と口にする。専大の若きクラッキは、大学生活を通してどのような成長を遂げるのだろう。その行く末を見届けたいと思う。人を惹き付ける何かを、彼は持っている――。

 

(おわり)

 

プロフ用(加工済み)郡紘平(こおり・こうへい)プロフィール>

1998年5月3日、徳島県徳島市出身。小学校1年から本格的にサッカーを始める。助任サッカークラブ-徳島ヴォルティスジュニアユース-徳島市立高校-専修大学。攻撃的なポジションならどこでもこなせるアタッカー。シュート、ドリブル、パスの攻撃の三拍子を高いレベルで兼ね備える専大サッカー部期待の1年生。身長167センチ、体重56キロ。

 

 

(文・写真/大木雄貴)

 


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