2日前は3チームだった来季の候補が、1日たったら6つに増えていた。ひょっとすると、まだまだ増えるかもしれない。当然だ。あれほどの才能を、移籍金なしで獲得できる機会など、拝金主義のまかり通る現在のサッカー界では、そうそうあることではない。しばらくの間、柴崎の去就を巡る報道合戦は続くことになりそうだ。

 

 それにしても、ずいぶんと魅力的なチームばかりが名乗りをあげたものである。ベティス、アラベス、マラガ、エスパニョール、セルタ。心地の良さを重視するならテネリフェへの残留という道もあるだろうし、都会に住みたいのならばバルセロナを本拠地とするエスパニョール。美食や治安にこだわるのであればバスクのアラベス。情熱的なサポーターの前でプレーしたいのであればアンダルシアのベティスやマラガ。20年以上前からイスラエルやロシアの選手を獲得するなど、新たな才能の泉を発掘することに貪欲なセルタも面白い。正直、どこを選んでも間違いではない、とは思う。

 

 ただ、日本人の目にはどこもどんぐりの背比べというか、優勝争いとは無縁のマイナーチームに映るかもしれないが、実は、この中には1つ、特別なチームが含まれている。

 

 ベティスである。

 

 リーグの優勝ははるか昔の1934~35シーズンの一度のみ。同じ街の裕福層をメインターゲットとするセビージャには、実績でも資金力でも後れをとってしまっている。

 

 だが、「ベティコ(女性の場合はベティカ)」と呼ばれるファンの熱さは、ひょっとするとスペイン一かもしれない。

 

 このチームには「ベティス万歳。たとえ敗れようとも」という有名なスローガンがあるのだが、死ぬ間際にはこの言葉を叫んでから死にたい、と大まじめに語るベティコや、遺言に「わたしの死後もベティスの会員であり続けるように」と記すベティコは、少しも珍しい存在ではない。彼らに言わせると、ベティスは「決してジャイアントではないが、スペインでもっともポピュラーのチーム」なのである。

 

 かつて、アンダルシアはスペインの中でも貧しい人の地域だった。そのため、故郷に見切りをつけ、新天地に可能性を見いだそうとした人たちも数多くいた。語尾の「S」が省略されることの多い中南米のスペイン語は、アンダルシアや、同じように貧しいエストレマドゥーラ地方の方言の特徴でもある。

 

 つまり、「ベティ」を愛するベティコは、ベティカは、世界中に散っている。

 

 100年ほど前、ニューヨークの映画館に一人のスペイン移民が足を踏み入れた。映画というものを見たことがなかった彼は、上映のために場内の明かりが消えたのを、この世の終わりだと勘違いした。彼が叫んだのは、もちろん――。

 

 ベティコたちに語り継がれる、笑い話である。

 

<この原稿は17年6月29日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから