(写真:昨年のリオパラリンピック。この50年以上前、東京でパラリンピックが開催された)

(写真:昨年のリオパラリンピック。この50年以上前、東京でパラリンピックが開催された)

 2020東京五輪・パラリンピック開催まで3年となりました。今ではパラリンピックという言葉も浸透してきましたが、53年前の1964年、東京オリンピックと同じ年にパラリンピックが行われていたことはご存知でしょうか? 当時は障がいのある人がスポーツをすることは考えられない時代でした。そんな中、パラリンピックが開催されたのです。53年前にパラリンピックに出場した方やボランティアとして参加した方にお話をうかがったことがあります。

 

 東京パラリンピックが幕を開けたのは64年11月8日のことでした。22カ国372選手が参加、うち日本選手は53名。脊髄損傷で車いすを使用している人が参加する大会で、9競技が行われました。

 

 当時は脊髄を損傷すれば寝たきりになるのは仕方のないこととも思われていました。日本人選手の中で働いていたのは自営業の数名で、その他の選手は全員が病院や施設で暮らしていました。というよりも、そうするしかないような状況で、「短い命の終わりを不安な中でじっと待っていただけ」だったといいます。障がいがあるからベッドで寝たきりで、褥瘡(じょくそう)や泌尿器科系の病気などが原因で若くして亡くなる方も少なくありませんでした。しかし、短命の本当の理由は病気や障がいではなく、ほとんどが生きる希望を持てないことだったそうです。

 

 さて、64年のこと。入院していたある男性患者さんは「医師から突然告げられた」と言います。
「あなたは下半身が動かない。でも他に悪いところは何もない。今度、パラリンピックという大会があるからそれに出場してください」

 

「パラリンピック?」と、初めて聞く単語に何が何だかわからず不安なまま、他の患者さんと一緒に病院を出発、選手村へ。部屋のベッドに寝かされ、介助をしてもらっていました。試合の出番がくると介助の人が会場へ連れていってくれて、競技が終わると再びベッドへ寝かせてくれました。

(Photo阿部謙一郎)

(Photo阿部謙一郎)

 自立を実感した瞬間

「全部の試合が終わったら自分はまた病院に戻るんだなあ」と思って他国の選手を見ると、自分たちとの違いに気が付いたそうです。

 

 他国の選手は競技の後、タクシーを呼んで観光に出かけたり、選手村のクラブでは歌ったり踊ったり楽しく過ごしていました。その違いにそれは驚いたそうです。話をすると海外の選手たちは仕事を持ち、家庭を持ち、日常的にスポーツをしていると。自分たちは病院で暮らし、スポーツも仕事も、もちろん家庭もない……。あまりの違いに驚きを超え、何が何だかわからなくさえなりました。

 

 試合の後、ある海外選手がこう言いました。「日本は弱かったね。でもそれは練習が足りない、技術が足りないからではないんじゃないかな。この国の障がい者に対する考え方が僕の国とは違うことが原因だと思う」

 

 このパラリンピック出場を機に日本人選手たちは変わりました。地元に帰りリハビリに取り組み、就職をしたり、スポーツを楽しんだり、パートナーを見つけて結婚し家庭を築いたりしました。海外の選手に聞くまでは思いもよらなかったことを次々と実現していったのです。

 

 大分から出場した須崎勝己さんはパラリンピック出場前と出場後の違いをこう語りました。

 

「入院中、友人が見舞いに来て、車いすで遊びに連れ出してくれた。でも、飲みに行くのには抵抗があって、行けなかったんですよ。当時は働いていなかったから。もらっていた年金で遊びに行くのは申し訳なく感じていて……。パラリンピックから帰ってきて、リハビリをして、車の免許を取りました。それで就職して初めてもらった給料は何に使ったと思いますか? もちろん居酒屋に行って乾杯しましたよ。このときに、ああ自立したんだな、と心から思えました」

 

 先の東京五輪は開催にあたって東海道新幹線の開業や首都高速道路の建設など社会に多くのレガシーを遺しました。ではパラリンピックは何を遺したのでしょうか。ひとつは障がい者の自立です。

 

 翌65年に日本身体障害者スポーツ協会(当時)も設立され、障がいのある人がスポーツをすることが知られていくことになったのです。「2020東京パラリンピック」で、私たちが遺していこうとしているレガシーのひとつは共生社会の実現です。オリンピック・パラリンピックを社会変革の契機とすることをより強く意識して、活動していきたいと考えています。

 

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

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