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(写真:大会をサポートするボランティア婦人部の方々と)

 その週の九州は激しい雨に見舞われていた。地域によっては人的被害も出るほどの荒れた天候。ただ、この島は比較的雨量も少なく、天候と地形の複雑な関係を感じながらも大会は開催された。そして当日は雨。それもスタートのタイミングに合わせたように激しい雨が降った。その中でスイムからバイクに移っていく。雨を突き破るように上りのパートに差し掛かった時だ。「頑張れ~! もうちょっと~」。大きな声とナベやヤカンを鳴らす音。見上げると大雨の中、峠の頂上には多くの島民が応援に出てくれており、通過する選手たちに激を飛ばしている。「シラトさ~ん、頑張れ~!」。さすがにちょっと驚いたけど、嬉しくて「ありがとう~!」と応えていた。

 

 長崎は佐世保の先に大島という島がある。昔は西彼杵郡大島町だったが、市町村合併で今は西海市の一部となった。26年前、この島にある造船所に招待されてプロトライアスリートがトレーニングに行った。練習後に当時の専務から島の感想を聞かれた彼は「素晴らしい環境です。大会だってできるほどですね」と答えた。すると副社長は「では大会やろう! 明日、町長のところに説明に行くぞ!」と言って、その場でアポイントメントを取ってしまった。翌日、町長は極めて乗り気だった。「それは素晴らしい話だ。でも、今年は間に合うかな……」、「いや、さすがに来年の話です」と周りがいさめたくらいである。

 

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(写真:表彰パーティーはアットホームに盛り上がる)

 こうして始まった大島トライアスロン計画だが、もちろん簡単に進むものではない。最大の難関は警察の許認可。しかしこれがなければ公道使用したレースなどできない。あまりに渋る警察に、町長は「このままでは帰れん!」と言って部屋の前に座り込んでしまったとか。その意気込みに当時の担当者も折れて「1回だけですよ」と言って許可をくれたという。トライアスリート、造船所の専務、町長とフットワークの軽い人たちが揃ったおかげで「長崎大島トライアスロン大会」(現・長崎西海トライアスロン)が誕生したのだ。そして、「1回だけ」と言われたこの大会は、今年の7月に25回目を迎えた。

 

 25年前にこの島に初めて「トライアスロン」というスポーツが持ち込まれたのだが、島民にとってはすべて初見。選手たちをどのようにもてなしていいかもわからない。それでも手探りでいろいろチャレンジをしながら継続されてきた。もちろん途中には担当者の熱も冷め、あわや休止という危機もあった。それを熱心な地元住民が支え、九州のトライアスリートに愛されてここまで続いてきた。「日本一のローカル大会を作ろう!」と当初から大会関係者で言ってきた目標に向けて、島民が長い年月をかけて作り上げてきたのだ。

 

 ローカルの魅力と課題

 

 トライアスロン大会が開催される週末の早朝には、道路を清掃している島民の姿をあちこちで見かける。自転車が走っている人がいれば温かく声をかける。なかでも、レース後のパーティーのために婦人部が作り上げる料理の数々はバリエーションに富み、その味も量も初めて来た人は驚くものとなっている。参加賞は、地元の塩と焼酎。こんなローカル色強いトライアスロン大会はなかなかない。そんな温かみを感じられる大会だからこそ、毎年600人の定員も一杯になってしまう。これこそが25年積み上げてきた歴史だろう。

 

 もちろん問題がないわけではない。島民の高齢化は、すなわち大会ボランティアの高齢化となる。今まで協力できていた人も、これまでできていたことが簡単にはできなくなってくる。それは大会役員もしかり。なかなか島にそれを担える若い力がいない……。このままではいつか行き詰ってしまうことは皆が気付いているのだが、簡単に答えが見つからないもの現状だ。

 

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(写真:島民のエールを背にレースを駆け抜ける筆者)

 激しい雨は少しずつ小康状態になってきた。相変わらず峠には多くの島民が詰めかけている。雨の中の観客にテンション上がった僕は皆さんに「ありがとう」を言いまくる。その時、ふと目についたのが老婦人の持った紙だ。それには「しらとさん」とひらがなで書かれていた。そういえば、誰にでも読めるように、大会事務局から島民にひらがなの選手名簿が配られているというのを聞いたことがある。おそらく彼女にはヘルメットをかぶりサングラスをした選手は、誰が誰なのか分からなかったと思う。だから僕は大声で声をかけた。「しらとです。ありがとうございま~す!」。なんだか涙が出てきた。

 

 26年前に初めてこの地に来たときは、まさかこの島にこれだけトライアスロンが根付くなんて思ってもいなかった。だから持ち込んだ僕には責任がある。この大会をどうやって皆さんに継続してもらうか……。今は亡き町長と初めて話した時のことを思い出しながらもう一度ペダルに力を込めた。

 

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール

17shiratoPF スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。今年7月に東京都議会議員に初当選。著本に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)などがある。

>>白戸太朗オフィシャルサイト
>>株式会社アスロニア ホームページ


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