指導者には“表の顔”と“裏の顔”がある。それを使い分けてこそ一流と言えよう。

 

 

 さる7月1日に80歳で世を去った上田利治は阪急でリーグ優勝5回、日本一3回を達成した名将中の名将だ。通算1322勝は歴代7位。

 

 上田と言えば“ええで、ええで”が口癖だった。ルーキーの印象を聞かれると「ええで~」と言ってメディアの前でその選手を持ち上げるのだ。

 

 しかし、コーチへの接し方は違ったようだ。上田の下でコーチを務めた山口高志が、こんな逸話を紹介している。

 

「世間では“ええで、ええで”の口癖が有名でしたが、コーチの私には“あんたなあ”で、これが聞こえてくると“選手に甘い”とお小言が始まった」(スポニチ 7月3日付)

 

 去年の12月に90歳になった現役最年長評論家の関根潤三には好々爺のイメージがある。引退後は広島、巨人でコーチ。大洋、ヤクルトでは監督も務めた。

 

 関根と言えば、国民栄誉賞を受賞した元広島の衣笠祥雄を育てたことでも知られる。

 

 若い頃の衣笠はヤンチャだった。夜遅くまで飲み歩き、門限破りもしばしばだった。

 

 千鳥足の衣笠を寮の前で待ち受けていたのが関根である。

 

「さぁ素振りだ」

 

 衣笠は泣きながらバットを振り続けたという。

 

 関根はピッチャーに対しても容赦なかった。ヤクルトの監督時代、マウンド上で荒木大輔が四球を連発した。

 

 ピッチャー交代を告げるため、マウンドに近づいてきた関根は荒木からボールを奪うやいなや、いきなりスパイクのかかとで荒木の足を踏みつけたというのだ。

 

「ニコニコしながらね。でも関根さんは失敗しても、また使ってくれました」

 

 広島を球団創設初優勝を含め、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた古葉竹識は、そのソフトな物腰で婦人方から人気を博した。趣味はソーシャルダンス。“古葉スマイル”は一世を風靡した。

 

 しかし、こと野球に関しては古葉も上田や関根に負けず劣らずの“鬼”だった。

 

 古葉が手塩にかけて育てた選手が赤ヘル全盛期のリードオフマン高橋慶彦だ。

 

 ミスをしてベンチに引き上げてくると、容赦なく蹴り上げた。ダグアウトの奥だからテレビには映らない。文字どおり水面下の愛のムチだった。

 

 一度、そのことについて質したことがある。本人は涼しい顔で、こう答えた。

 

「ちょっと撫でてやっただけですよ」

 

 古葉流の「鬼手仏心」だったのだろう。

 

<この原稿は2017年8月4日号『漫画ゴラク』を一部再構成したものです>

 


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