1969年夏の甲子園決勝、三沢(青森)対松山商(愛媛)の死闘(延長18回引き分け、再試合の末に松山商優勝)はいまだに語り草だ。


 その三沢に小比類巻英秋というキャッチャーがいた。主戦捕手の河村真が故障し、さらにはヘルニアを患ったため、外野からコンバートされた急造捕手だった。“北国のエース”と呼ばれ全国区の人気を誇った太田幸司の黒子のような存在だったが、その珍しい名前とともに、強力なインパクトを高校野球ファンに刻みつけた。大会通算8犠打。自在にバットを操り、どこにでも転がせるのだ。さながら“魔法の杖”のようだった。


 小比類巻の“バント職人”ぶりはプロ野球でも随分、話題になった。ある選手がバントを失敗すると解説者から「小比類巻君を見習ったらどうですか」とチェックが入った。金属バットが導入される以前の高校野球において、バントはトーナメントを勝ち上がる上で、必要不可欠な武器だった。


 コツン。木製バットが奏でる古びた木琴のような音色が妙に懐かしい。キーン、コーン、カーン。今夏、耳をつんざく金属音は最高潮に達しつつある。大会7日目、26試合を終えた時点で37ホームラン。済美(愛媛)の亀岡京平は2試合で早くも3号だ。


 これまでの大会通算最多ホームラン数は06年の60本。現在のペースでホームランが出続ければ記録更新も十二分にありえる。それに伴い、高校野球解説者のコメントも変わってきた。4点差なら「満塁ホームランが飛び出せば同点ですね」。「ここは一発狙ってもいいかもしれませんね」というものもあった。継投も常態化し、ウィークデーの日中にプロ野球を観ているような錯覚にとらわれることもある。


 選手の体型も昔とは大違いだ。ユニホームの素材や形状にもよるのだろうが、どの選手もはち切れそうな筋肉をしている。栄養指導やウエイト・トレーニングの賜物だろう。


 ともあれ、今の高校野球においてセーフティー・リードなどという言葉は死語に等しい。先取点も差程、大きな意味を持たない。1回戦で興南(沖縄)は智弁和歌山(和歌山)に6点差をひっくり返された。重要なのは、いかにしてビッグイニングをつくるか。「柔よく剛を制す」ならぬ「剛よく柔を断ず」時代の到来である。

 

<この原稿は2017年8月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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